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仏教の源流―インド (中公文庫BIBLIO)

価格: ¥926
カテゴリ: 文庫
ブランド: 中央公論新社
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現代の仏教書からは失われた大切な仏教の概念 ★★★★★
本書は、仏教史の理解を深める上で極めて有用である。釈尊の教法を伝える上座仏教とその後の変遷の過程で使われる用語の理解を深めることができる貴重な書物である。幾つかを引用したい。

「上求菩提下化衆生」という言葉が、サンスクリットの「アーガマ」と「アディガマ」から来ていること(p.140); “従って無常と言うことも、無我ということも、実は同じ一つの事実を二つの面から説いているのだということ”(p.152); “縁起という字は、古くは「因縁」とも訳されました。しかし、これとは別に「因」と「縁」という字があります。今、縁起を因縁と訳すとすると、この因と縁との区別が紛らわしくなり、実体否定の相対性の意味がはっきりしなくなってしまいます。そこで、玄奘の縁起という直訳的な訳語ができてからは、多くこの語を用います。”(p.186); “しかし仏教の歴史の上では、空の哲学が高唱される余り、そこに誤解が起こり、悪い意味での虚無論が生まれたとも伝えられています。従ってそれが訂正せられる必要もあったのです。唯識学派のいわゆる有の哲学は、そのような意味を有するものとして位置づけられます。しかし、繰り返して申しますが、それは否定のままに有であり、否定を通過しての後の有の哲学です。”(p.210); “菩薩は実は「菩提薩多」を略したもので、「菩提」は悟りのこと、覚であって、仏陀すなわち覚者と語根が同じです。「薩多」は、生きとし生けるもののことで、普通、衆生と訳されます。それ故「菩提薩多」は直訳すれば、「覚衆生」ということになりますが、そのような菩薩は誰なのかというと、実は釈尊が菩薩なのです。”(p.220〜221); “それ故、この両者(つまり、禅定波羅蜜と般若波羅蜜)がしばしば対にしてあげられます。「止観」と一口に申しますが、止は心の動きを止めて一定に平静となること、観はその上で智慧の眼を見開いて世界の実相を見ることです。”(p.226)


良いです。 ★★★★★
ブッダの生涯と仏教が無神論であることの説明があります。
ブッダの悟りについてわかりやすく、しかしながら深く説明してありますので、仏教をの基礎を知るには最適だと思います。