本著の立場は「行政機関を中心とするパートナーシップ論には大きな期待ができない」というもので、“政策”レベルでの連携という切り口からその中に自らの領域を切り拓こうとしている。「行政を中心に議論をすればバイアスがかかる」という認識には賛同できる。「NPOの系列化」という状況認識も官民連携に対する無条件の礼賛が続く論調のなかで、市民社会論の成熟過程を示すものと考えられる。
だが、続く実践編の内容を読むと、筆者の切り口や状況認識の成熟程には斬新な切り口は見られない。事例編は筆者自らが米国版プロジェクトXという事例紹介の域を出ないし、練習問題として挙げられた富士山の保全と開発についても、実現のプロセスに係わる問題性の発見が無く、コンサルタントの報告書の様な陰影の無さが目に付くのである。
この理由として、筆者が行政の機能の批判ということと一線を画していることが考えられる。筆者は近代国家の限界を認識し、これを機能不全に陥っているという。だからこそ、政策をキーワードに連携を図って実績を積み上げ、実態として政府機能を解体し、ソフトランディングさせていくことが必要だという。
近代国家の限界も行政機能の停滞も、筆者の認識に賛同できる。そのことへの筆者の強い問題意識が政策連携を提唱させたということを考えれば、筆者の立場への批判は避けたい。しかし、現実として政府は存在し、機能不全以上の悪弊として今日の日本社会に確固とした位置づけをもっている。このことを考えれば、政策連携という外からの蘇生手法だけでその解体を目指すという筆者の立場は楽観論に過ぎないのではないか。
とはいえ、今日の市民社会論の多くが事例紹介の域を出ず、理論的な体系化の試みを放棄するあるいは試論の域をでない中、筆者自ら「荒削り」としながらも既往理論との対比を試みるなど、今日の市民社会論の中では一歩先を行く著書である。