ありがとう! タゴールのことばが、私を待っていてくれました。
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コルカタ生まれの詩聖タゴール(1861―1941)は、その頃まだイギリスの植民地だった祖国インドの人びとを啓発し、他方で、世界諸国を旅して人類愛と東西文化の交流の大切さを訴えつづけたひとです。1913年に、アジア人として初めてのノーベル文学賞を受賞しています。
わが国の伝統文化に愛情と親しみを懐いて何度か来日しましたが、そのとき戦前の日本政府の軍国主義を批判したために〈亡国の詩人〉とあざけられて苦汁を舐めたとか。『迷い鳥』(Stray birds)と『螢』(Fireflies)は、タゴールの日本訪問にゆかりのある短詩集で、どちらもベンガル語ではなく英語で書かれています。集中、俳句や短歌の影響を受けたとおぼしい短詩もそこかしこに。
巻末の〈訳者おぼえがき〉によれば、私が20年以上前に読んだ『タゴール著作集 第二巻』所収の『螢』(大岡信訳)は、どうやら全体の半分ぐらいの抄訳だったそうです。こうした清冽な新訳の刊行によって、『螢』の短詩とアフォリズムのすべてを誰でも手軽に味わうことができるようになったことは、たいそう悦ばしい。既刊の『迷い鳥』につづいて、英語のテクストが訳詩と左右の見開きにレイアウトしてあるのが読みやすい。
《わたしの空想は螢、――
いのちある光のかけら
暗がりにまたたいている。》
《よろこびは 大地の眠りのいましめを解かれて
数えきれない木の葉にみなぎり、
ひもすがら 空中に浮かんで踊る。》
《わたしの背負った重荷は 軽くなる
みずからを笑いとばすときに。》
《苦悩の火は わたしのたましいのために
たましいのかなしみをこえて ひとすじの光の径をたどる。》
《世界はわたしに映像で話しかける、
わたしのたましいは音楽で応じる。》
《あなたは炎のように思い出を残していく
わたしのお別れのさびしいランプに。》
《わたしは わたしの神を愛することができる
神はわたしに 神を否定する自由をあたえているから。》
《富は 大きなお荷物、
幸福は いのちの豊かさ。》
《わたしの愛は 見いだすがいい
昼のはたらきに 愛のちからを
夜のむつみあいに 愛のやすらぎを。》
《去りゆくものに あなたの扉を開きなさい、
死は 妨げられると見苦しいものだから。》
《わたしの心の世界は 果実のようにまるみをおびて、
いのちのよろこびとかなしみのなかで熟れながら、
原始の大地の暗がりへと落ちていくだろう
創造の更なる深まりのために。》
《花は はなびらをすべて散らして
果実を見いだす。》
《心はいつも 音と沈黙に
ことばをさがす
空が 暗黒と光にそれをさがすように。》
《愛の贈りものはあたえられるのではない、
それは受け容れられるのを待っている。》
…………
試しにページをめくりながら、たまたま目に留まった片言隻句を書き出してみました。時としてタゴールの熱い思いがあまりに直截すぎるとでも言ったらいいのか、私はすこし照れ臭さを感じるときもありますが、二十世紀の二つの世界大戦にはさまれた激動の時代を背景に、近づきつつある死の予感と冷静に向きあい、それでも〈ことばの力〉の普遍性を信じて、万人に向けてメッセージを送りつづける六十代の詩人の気概には、やはり心を激しく揺さぶられてしまいます。そこには、人生の意味についての誠実な問いと答えが託されているのではないかしら。
いったんタゴールの世界が好きになったひとは、エンドレスで読みかえすことのできそうな、これは愛すべき珠玉の一冊です。直観と機智のしなやかさ。澄明な詩情のすがすがしさ。ブックデザインの端整さ。私は好き。おすすめします。