熱心な読者にとっては、単行本未収録のエッセイやロング・インタビューなどがまず心ひかれるところだろう。そのことばはどれも看過しがたい示唆を含んでいるが、なかでも1974年に発表された小編中、アメリカの再生に関して「世界の希望になることによってのみ希望の地になれる」と述べた一節が目を引く。もし存命であれば、9.11以降のアメリカをホッファーはどう見るのか。だれもがひととき立ち止まり、想像をこころみてみたくなるに違いない。また、バートランド・ラッセルがホッファーの主著『大衆運動』をめぐって論じた短い文章や、「自伝」の訳者・中本義彦がホッファーのベトナム戦争観についておこなった考察など、ホッファー論を集めた1章もきわめて魅力的である。
とはいえ、もっともおもしろいのはホッファーの著作に対する書評をあつめた部分かもしれない。日本での書評が中心であり、開高健、柄谷行人、立花隆など評者も豪華だが、実際に大衆運動が切実な問題として存在した60年代から、ホッファー個人の生き方がある種の憧憬をこめて語られるようになった21世紀まで、80年代、90年代のブランクもふくめて、わが国でホッファーがどのように読まれてきたのかがひと目でうかがえる。いわばホッファー受容史とでも称すべき貴重な資料となっているのである。
ホッファーのもちいることばは平易だが、その思想は既成の筋道をたどっていないだけに、全貌をつかむことはたやすくない。本書のことばをかりれば、まさに「捉えがたい著述家」なのである。これをどこまで捉えうるかは読者次第だが、本書に出あった者は、未読の著書をひもとき、さらに自分なりのホッファー像を積み上げていきたくなるはずだ。そのなかから、また新しいホッファー論が生まれてくるのかもしれない。そうした期待を抱かせてくれる1冊である。(大滝浩太郎)