この本は近藤紘一の遺作となった。あとがきは胃がんで入院をしていた虎ノ門病院のベッドの上で、口述筆記されたものだ。
物語はほぼ最後の特派員生活となった産経新聞バンコク支局長のときにかかれたエッセイを中心としている。しかし驚くべきはその物語の深さである。サイゴン、バンコク、パリの3部作を読んだ方なら持つであろう(読んでない方ならぜひ薦めるが)そのあまりに「やさしすぎる」印象は、同じ人間として、あるいは違う時代に生まれたものとして、怖いくらいに圧倒された。
ベトナムを再訪した近藤紘一は、政府のバーで一人の踊り子と出会う。中部の貧しい農村から出てきたという彼女の踊りの優雅さに引かれた近藤紘一は、彼女の夢を聞き、「できるなら、踊るべき場所で踊らせあげたい」!!と願うのだ・・・・・
今ではアジアの国々に出かけ、現地を旅することのできるのは特派員や駐在員ばかりではなくなった。ツアーと称して、乗り物に乗るとうに、何処へでも連れて行ってもらえる。
彼のようなやさしさを僕らが異質の、いや脅威のものとして感じるのは、自分たちができない違う文化をもった人間との、本当の交流をしているからではないか。そしてそんな風に国を超えて交流したドラマがあるからこそ、そこの彼のやさしさが浮き出て見えてくるのではないかと思った。
「何ヶ国旅をしたとしても、何も見えてはこない人がいる。日本という国しか知らなくとも、何かが見えている人がいる」
これはある特派員が国際人ということについていった言葉だ。
ここには一人の日本人が、違うところに住む人!!間とまっすぐに交流し、生きたドラマのかけらが散らばっている。そしてそれらはきっと、僕らの心のどこかに、新しい気持ちを与えてくれるのではないか。