素晴らしいドゥルーズ入門書
★★★★★
ドゥルーズの思想に触れるには最適な本の一つであることは間違いない。これとニーチェを読んでから「差異と反復」を読むとだいぶ理解のし易さが変わるように思える。
たぶん、マゾッホやサドの小説を読んだ事がない人は付録から読むのが良いように思える。読んだ上で最初から読んで、次に読むときにその文章の印象がどのように変わったのか?そこから、きっとドゥルーズが考えている分裂生成的な世界観が見えてくるように思える。
あと、バタイユの「エロティシズム(ちくま学芸文庫)」のサドに対しての考察を読んでおくと話題がスムーズに入ってくるのではないかと思う。
サドが持っている至高性や孤高性といった究極的に理性的な存在や冷徹な制度の性質が「統合」や「排除」を担っているのであれば、マゾッホが持つのは幻想性であり冷徹な契約が「分裂」や「否認」を担っているように思える。それは掛け算の性質と割り算の性質に似ている。
サドにしてもマゾッホにしても、二人は人間のある一つの極を表わしている。一つは掛け算的に掛け合わせて「一」へ「至高」の存在へと向かう方向、一つは割り算的に分割されて「多」へ「幻想」の存在へと向かう方向。どちらも人間は持っており、それぞれ別々の力がそれぞれの個人ごとに均衡し合うことで「わたし」はある。
「わたし」は「多」へと発散することもあれば、「一」に収束することもある。これは差異と反復では微分の形を取り、襞ではフラクタルや複雑系の形を取って後に説明されていく考えのもとである。数学,科学が入った抽象的な言葉ではなくて、それを具体的な?文学から考えられるのは、非常におもしろい。特にマゾッホが持っている「多」への考えが
マゾッホが持つ「契約」の関係、「演技/演劇」、過剰な法への従属が作り出す喜劇的な状況。分裂症への思考とは一味違った視点を提供してくれることは間違いないだろう。
マゾッホ再考
★★★★★
マゾヒズムはサディズムの裏返しではないし、
サディズムの対象はマゾヒストではなく、マゾヒズムの対象はサディストはない、といったようなことを明らかにしながら、不当なイメージに包まれたマゾッホを再評価する試み。
マゾッホの著作、サドの著作、それにある程度の精神分析についての知識が無いと面白くないと思う。
マゾッホ論である,
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原題からして、当然マゾッホ論である。
結果としてサドがなぜウットオシイかもわかる論である。
蓮實重彦のテクストも含めて大変重要な本。
ドゥルーズのベケット論と併読するとより効果的。
(旧版同)
マゾッホ論である
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原題からして、当然マゾッホ論である。
結果としてサドがなぜウットオシイかもわかる論である。
蓮實重彦のテクストも含めて大変重要な本。
ドゥルーズのベケット論と併読するとより効果的。
サド?マゾ?
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ひとくちでいえば、本書で問題となっているのは、真正のマゾヒストとサディストが出会ったときどうなるかである。ドゥルーズはこれらの語源となった二人の作家、マゾッホとサドのテクストを、神話学や記号学、文化人類学、そしてもちろん精神分析学や臨床医学といったさまざまな側面から読み解いていく。サド=マゾヒスムという単純化された図式、それぞれが対概念の陰画であるという、出版当時の、そして今日までも根強く残る認識を分析し、修正を加えていく彼の手際は読んでいて小気味がいい。一般的にいわれているこれらの概念が、本来のものの上澄みでしかないことが分かるだろう。自分のことをマゾだサドだと決めてしまう前に、これに目を通してみては?