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言語哲学大全1 論理と言語

価格: ¥2,700
カテゴリ: 単行本
ブランド: 勁草書房
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日本の現代哲学界のレベルアップに貢献した名著! ★★★★★
20年ぐらい前の本ですが、この本(シリーズ)が出版されて初めて、フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、クワイン、デビッドソン・・・・と続く英米の現代哲学、言語哲学が日本でも広く理解されるようになりました。
これ以前は、英米の現代哲学で議論の中心になっているものを理解するのが大変でした。
当時、日本語で読めるものは、ほとんど機械的な直訳や、底の浅い紹介論文や、したり顔の入門本がほとんどでした。ウィトゲンシュタインの「お言葉」を引用して、後は具にもつかない話で埋めて、これが現代哲学の最先端みたいな本に辟易していました。
学生が一人で原文読んでも高が知れてますし、大学で変な教授にでもついたら、大変な時代でした。「誰を信じればいいんだ?」と言う感じでした。
この本から始められた世代の人(研究者も含めて)は著者に感謝しましょう。その意味では、日本の現代哲学界の底上げを果たしたと言えます。説明は丁寧ですので、初心者、独学者にもいいかもしれません。内容が難しいのは当然ですね。
当時、このレベルの内容が書ける人は、少なくとも後一人はいたと思いますが、続編も含めこのボリュームで書いたということは、著者の心意気を感じます。それはアウグスティヌスの「神学大全」に因んだタイトルにも現れています。
著者の話として、こんな事を聞いたことがあります。
「一流の哲学者になろうとしたって、よほどの天才でもなければ、何にもならない。そんなこと考えるより、真面目な二流の哲学者になりなさい。真面目な研究は後世に何がしかの成果を残せるものだ。」
いい意味で、哲学教師ですね。
問題のありかを丁寧に解説した名著 ★★★★★
著者のバイアスは当然かかるとして、学説の詳述だけではなく
フレーゲやラッセルがなぜその道を選ばなければならなかった
のか、その選択の意味はなんなのかといった整理がきちんと
なされている格好の入門書。言語哲学はとわれている問題の
ありが自体がなかなかわかり難く、その分かり難さが解法と
して提示される学説の難解さと混同されるきらいがある。
実は問題のありかそのものが理解されれば、その解法自体は比較的
あっさり系で腑に落ちやすいものだと思う。逆に問題のありかをき
ちんと整理できていないといくら平易な言葉で解法の解説に
言葉を尽くしても、釈然としない入門書となってしまう。
本書はその点をしっかりとわきまえていて、実にわかりやすい。

初学者には基本的知識が、関心のありかや流れ、要点把握とともに
できる。中級者には、まさに著者のバイアス=「問題」の捕らえ方
解法位置づけの解釈などの論点について、批判的に読むことで
解釈を深める教材となるだろう。

何度も読みかえして、赤線だらけになっている一冊である。
非常に丁寧な本 ★★★★★
この本は、フレーゲとラッセルを扱うが、その著作の解説本ではない。
悪く言えば、著者(飯田隆)のバイアスがかかっているといえるだろうが、決して悪質なものでない。
というのも、著者も本文中で述べていることだが、現在の言語哲学の研究のレベルからいって、フレーゲ、ラッセルの著作から誤り、矛盾点を指摘することはさほど難しくないという。そうした中で、フレーゲ、ラッセルの著作を改めて目を向けるとなると、整合性のある部分を取り出し、或いは矛盾点を解消し、現在でも通用する理論に作り替える必要があるだろう。
この仕事は大変な作業であるし、実際殆どなされてこなかったそうだ。本書で著者はこの仕事をしている。その際、フレーゲ、ラッセルの改良版を第一に提示するのではなく、著作を見ていくとどのような矛盾点にぶつかるのかを丁寧に示し、加えて、どのような改良をすればよいのかを論理的に解説している。さらに、現在におけるそれらの理論の位置づけまでも紹介していくれている。まさに、著者の研究をダイジェストで追体験できるような書き方になっている。

本書は非常に丁寧に書かれているといえるだろうが、それは簡単であることを意味しているわけではない。読むたびに新しい発見、理解がある本であるように思える。
名実ともに ★★★★☆
まず、『言語哲学大全』というタイトルにガツンとやられました。この本の大きさで「大全」とは、著者の良識はいったいどうなっているのかと。著者の気宇の大きさによるものか、はたまた、実は狭量であることをカモフラージュするための仕掛けによるものか計りかねましたが、本を繙くと、そうしたことはどうでもいいことに気付きました。いささか粘着質な文体ではあるものの、それが功を奏してか、綿密な解説が展開され、哲学の素人にも付いていけるのは、ひとえに著者の力量かと思われます。フレーゲとラッセルを扱ってはいるのですが、フレーゲに多くのページが割かれており、バランスは崩れていますが、それをカバーするだけの内容があります。
現代哲学音痴,論理学音痴でも楽しめる ★★★★☆
 わたしのような哲学音痴のために。読んで楽しかったので,不正確きわまりない紹介をします。本書ではこんなことが議論されてます。

 「太郎が花子をねたんでる」は「花子は太郎からねたまれてる」と言いかえられる。でも同じように「誰もが誰かをねたんでる」を「誰かは誰もからねたまれてる」と言いかえると,意味が変わってしまう。さらに複雑な文も考えれば,こうした「誰も」や「誰か」,「すべての」や「或る」に関わるような正誤の判断を誤りやすい文を,正しく判断するにはどうしたらよいか。

 「赤」や「5」や「百角形」といったさまざまな言葉の意味はなんだろう。心のなかのイメージだ。でも「5」や「百角形」のイメージなんて,どうも頼りない。では外界にある事物か。だが「宵の明星」も「明けの明星」も同じ金星のことだが,意味は同じといえるか。そうだ。意味と意義を区別しよう。どちらも意味については,指示対象たる金星を意味する。意義については,単語の意義はそれが用いられた文の意義への寄与であり,文の意義とはその文がいかなる条件で使用されれば適切かの理解である,とこう経験と関連づけで考える。すると,今度はどんな問題が発生するだろうか。

 上記と別の方法はないか。すべての言葉は外界の存在物を表示する,という突飛な考えを出発点に,どこまでごり押しできるか。

 こんな思考世界もあったのか,と楽しめます。