「太郎が花子をねたんでる」は「花子は太郎からねたまれてる」と言いかえられる。でも同じように「誰もが誰かをねたんでる」を「誰かは誰もからねたまれてる」と言いかえると,意味が変わってしまう。さらに複雑な文も考えれば,こうした「誰も」や「誰か」,「すべての」や「或る」に関わるような正誤の判断を誤りやすい文を,正しく判断するにはどうしたらよいか。
「赤」や「5」や「百角形」といったさまざまな言葉の意味はなんだろう。心のなかのイメージだ。でも「5」や「百角形」のイメージなんて,どうも頼りない。では外界にある事物か。だが「宵の明星」も「明けの明星」も同じ金星のことだが,意味は同じといえるか。そうだ。意味と意義を区別しよう。どちらも意味については,指示対象たる金星を意味する。意義については,単語の意義はそれが用いられた文の意義への寄与であり,文の意義とはその文がいかなる条件で使用されれば適切かの理解である,とこう経験と関連づけで考える。すると,今度はどんな問題が発生するだろうか。
上記と別の方法はないか。すべての言葉は外界の存在物を表示する,という突飛な考えを出発点に,どこまでごり押しできるか。
こんな思考世界もあったのか,と楽しめます。