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翻訳とは何か―職業としての翻訳

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本
ブランド: 日外アソシエーツ
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   添えられた副題から、ウェーバーの『職業としての政治』や『職業としての学問』を思い起こす人がどのくらいいるのだろう。多くの人は、無邪気かつ直截(ちょくせつ)に、よく見かける「~になるための本」のたぐいを想像し、本書を実用情報を扱った、単なるガイドブックとみなしてしまうような気がする。

   ただし、この見方も当たっている部分がないわけではない。ウェーバーの本にも、政治が現実的な力学の所産だという大切な前提があるし、本書にしても第4章「翻訳の市場」以降では、翻訳家をめぐる現実環境の分析と、かなり詳細な職業情報とが紹介されているからである。

   しかし、ウェーバーが政治はあくまで政治であり、倫理ではないからこそかえって政治家特有の実益を超えた倫理が必要なのだと主張したように、翻訳の第一線で活躍中の著者もまた、翻訳家の実務環境をたどったうえで、自身のなりわいに職業的な倫理のやすりをかけようとしたように見える。

   では、その職業倫理とは何か。本書に倣って強引に要約すれば、それは、「訳文に対する“結果責任”をまっとうすること」なのではあるまいか。実例を交えた翻訳の考察、歴史上の翻訳者たちの足跡紹介、翻訳技術論…。本書を貫く記述のすべてが、この基本の延長線上にあると思えるのだ。

   翻訳家を志す人、翻訳とその文化的背景に興味をもつ人、本書はそんな人にすすめたい、今どき貴重な真の参考書である。(今野哲男)

翻訳家にあこがれる人は読むべからず ★★★★★
英語が好き、英語の成績がよかった、専業主婦だけれど翻訳家として社会と接点をもちたい、翻訳学校に行って自分磨きをしたい……。

そういう人は絶対に読んではいけません。

まして、翻訳業とは何ぞや?という興味で読む本でもありません。

七転八倒して、一冊でも翻訳をしたことのある人、あるいは、もしかしたら翻訳業で生計を立てていくことになるかもしれない人(作家になれない、学者になれない、舞台俳優になれない、、、いろいろな諦観をもっている人)、そういう人にとっては、翻訳を生業とするとはどういうことなのか、この一冊を読めば充分でしょう。バイブルとなること、間違いありません。

個人的にもっとも心に響いたのは以下のくだりです。
「原文の表面だけを手掛かりに、表の意味はもちろん、裏の意味、裏の裏の意味まで読み取れるようになる。原文のリズムや細かいニュアンスを……略……ひとりの著者の原文をつぎつぎに翻訳していけば、原著者の微妙な心理の動きや思考の流れを理解できたと思えるようになる……略……原著者になりきって、原著者が日本語で書くとすればこう書くだろうと思える訳文が流れるように自然にでてくるようになることがある」

この感覚に覚えのない読者には、本書の価値はわからないだろうと思いました。
抑えた調子のなかに、熱い思いの込められた、真の翻訳家のためのバイブルです。
翻訳を志すもの、必読の書 ★★★★★
翻訳を志すもの、また、翻訳に既に従事しているものにとっても必読の書です。
翻訳市場や、技術、歴史、辞書、翻訳者、その予備軍などについて様々述べていますが、その根底にある考え方は一本です。「翻訳とは執筆」です。筆者の言うように、翻訳は他言語を日本語に置き換える作業そのものではなく(この作業も重要な役割を持っているのですが)、著者の意図を著者が想定している読者に如何に効率的に届けるかという作業だと思います。筆者の専門と異なる産業翻訳にも同じようなことを強く感じます。「裏の裏のまた裏」を読み取り、村田蔵六が蘭書の内容を具体的にイメージしたように「著す」ことが翻訳だと思います。
明快な筆舌ですが、少し書く姿勢に癖があると感じるかもしれません。それでも、翻訳について様々な観点から論じたこの本は、翻訳を真剣に志す人には、色々なことを深く考える手がかりを与えてくれる本だと思います。
仰る通り ★☆☆☆☆
確かに、何様のつもりなんだという読後感が残ります。結局のところ、世に翻訳家を名乗る人間は、初志貫徹できず、紆余曲折の末、翻訳業なる裏方の職業にたどりついたという経歴の持ち主だからでしょう。裏方であることに我慢がならず、一言二言吼えてみたくなるという、一種の屈折した心理が感じられます。
辞書が物凄いスピードで陳腐化していく時代 ★★★★☆
企業内翻訳者として金融経済の翻訳に携わっている者からすると、この本に書いてあることは頷けることばかり。ビジネス・経済・産業の分野で唯一ある程度使える辞書(それすら十分ではない)の監修をしておられるのが山岡氏で、現場の人間からすれば辞書の間違いを見抜けるぐらい出なければ仕事にならないというのが本音だ。我々は、明治時代の小説家が新しい口語日本語を創造したのとはまた違う意味で、日々新たな概念と商品が生まれる時代を生きており、伝達可能な日本語の文章を作り出さなければならない。

英語がもてはやされる時代、翻訳学校ビジネスが大繁盛しているというくだりは非常に面白かった。専門知識・英語力・日本語力のうち最低でも1:1:1ぐらいでなければ翻訳という仕事は出来ない。強いて言えば3つのうち最初の2つの比重が8割を超えるかもしれない。

ある雑誌が行ったアンケートで翻訳者の報酬が少なすぎると指摘されていたが、これは副業として翻訳をしている人が一定数いる以上、正業としている人と同列に比較しても意味がないと思った。上記のような事情から需給のギャップも生じているかもしれない。しかし安かろう悪かろうな世界なのだ。

一読の価値はあるが・・・ ★★★☆☆
翻訳はそれなりに手掛けてきたつもりだが、あくまでも副業であり、翻訳業界のマクロ的な状況に関心を持つことはなかった。そのため、本書を読んでなるほどね・・・と得心する箇所もいくつかあった。しかし、本文中の「辞書の訳語はすべて死語なのだ」といった物言いは、不遜であり、一翻訳家に過ぎない著者の分を超えている。そもそも辞書は、職業的翻訳のための手引書ではない。翻訳家としてこれまで辞書から受けたであろう莫大な恩恵を肝に銘じ、辞書編纂者の献身に対して素直に頭を垂れるべきである。