本シリーズの第1巻から繰り返し述べられてきた「ローマの開放性」が「黄金の世紀」として結実するのは、シリーズを通して読んできた方には感無量でしょう。「五賢帝時代」が素晴らしいのは、これらの皇帝たちの素晴らしい資質もさることながら、ローマ人が一貫して重視してきた価値観である「寛容」「融和」「公正」「平和」(本書p220でも紹介)が花開いた結果、ということではないでしょうか。
「かつて、ホメロスは謳った。地上はすべての人のものである、と。ローマは、詩人のこの夢を、現実にしたのである。」(本書p361)
「このローマ世界は、一つの大きな家である。そこに住む人々に、ローマ帝国という大家族の一員であることを日々思わせてくれる、大きな一つの家なのである。」(本書p388)
帝国内での往来は自由で、かつての敵であった属州との融和も急速に進行、帝国全土から優秀な人材を集め、彼らの中からは皇帝も生まれるようになった。(ユダヤは例外としても)それぞれの民族の文化は尊重され、自治や宗教が認められ、万民に公正な法の下での秩序が保たれている・・・2000年近く経った現代世界と比べてみたとき、人類は本当に進化しているのかと疑う気持ちが湧いてきます。
まさに、「世界帝国」にふさわしいローマの黄金時代を堪能しつつ、時代が求めた最高の人材と言うべき、賢帝たちの「諸行」を楽しみましょう。
8巻目の最後では、ネルヴァ、トライアヌスの二人の賢帝についてふれられていたが、その記述は意外とあっさりしたものだった。今回はそれに継ぐ三賢帝、即ちトライアヌス、ハドリアヌス、アントニウス・ピウスの3人の賢帝が主人公だが、先の二賢帝から一転して、著者の記述は詳細でしかも温かいものだ。
それは、この三賢帝が五賢帝の中でも特に優れていると評価が高く、ローマ帝国がその版図を最大にした時代のまさに絶頂期の皇帝であることに拠る。
賢帝の時代とは、即ちローマにとっての平和が築かれ、維持された時代である。平和の安定の時代とは歴史を物語として語る場合には決して素材として面白い時代ではないかもしれない。
しかし、著者は実は淡々として平和と安定を実現するために、これらの三賢帝がどのような施策を施したかを、鮮やかに描きだし、又、賢帝といわれる人々のその人間性に肉薄することによって、三賢帝の時代を、面白い物語として描き出した。流石の手腕ということができよう。
ローマの平和の礎となったのは、ローマ帝国が常に「安全保障」「国内統治」「社会資本の整備」に細心の注意を払ったからだといわれている。
国内統治の目的で行われたユダヤ人のエルサレム追放もこの時代に起きているわけだが、それが、その後2千年のユダヤ人のが「流浪の民」となった原因であること又、ローマ法の大幅な改編がなされたことなどを考えると、この時代のローマ史が、現代に与えている影響も実に大きい。
「平和と安定の維持」という命題は、現代の政治家にとっても大いに参考になるはずだ。このことを含めて「歴史に学ぶ」という言葉が、この「ローマ人の物語」を読むたびに、思い起こされる。
ただこの本はこの本一冊で評価するよりやはり「ローマ人の物語9巻」として評価する方が正しいとのでかはないかと思う。興隆を続けてきたローマとその哲学がこの巻での一つの頂点を迎え、そしてこれから始まるであろう衰亡への第一歩をも予感させるこの巻は全15巻と言われる彼女の壮大な連作の中でも大きな意味を持つと確信している。