「実在論のヒンドゥー教と唯名論の仏教」
★★★★☆
哲学における失われたミッシングリンクとして、今後重要となるであろう仏教以外のインド哲学(ヒンドゥー教側)の紹介である。
類書よりも本書をわかりやすいものにしている、実在論のヒンドゥー教側と唯名論の仏教側の論争という構図は、著者も言うようにおおざっぱな位置づけとしては有効だろう。
それは中国において老子と孔子が、西欧哲学においてスピノザとカントがあるようなものだ。
ただ、ヒンドゥー側に立つ著者には少し「外道」としてのコンプレックスがあり、それが参考文献の紹介の少なさに加えて本書の欠点となってしまっている。しかし、それを補って余ある貴重な論考でもある。
特に、前作『牛は実在するのだ』にあったものからさらに推敲されたインド哲学相関年譜(p24)は役に立つ。
本書においては著者が学問的飛翔を試みている部分が貴重だが、研究上より正確を期すなら他の参考文献(ヒンドゥー教側と仏教側との論争については本書には記述が少ないので中公新書の類書がよい)に本書以降当たることが望ましい。
なお、石飛道子氏のHPに本書に対する批評が掲載されていることを追記しておく。
追記:インド哲学相関年譜(宮元啓一『インド哲学七つの難問』24頁を参照、追加記述した。)
<ヴェーダの宗教>
最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8 |
沙門たちの宗教 |____________________________☆文法学派
前6 <ジャイナ教 <◯仏教> | |
など>(前6〜前5)<ヒンドゥー教> |
前4 | |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ(前4)
| | カナーダ『ヴァイシェーシカ |
前2 『ミリンダ王 |____☆ミーマーンサー学派 スートラ(定句集)』 パタンジャリ
<大乗仏教> の問い』 | | (前2〜後1) |(前2〜前1)
西暦紀元 | |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2) | |
| | |___________|____◯ニヤーヤ学派 | |
2 ナーガールジ | |_☆ヴェーダ |『ニヤーヤスートラ』 | |
ュナ、龍樹(2)| | ーンタ学派 | (2〜3) | |
| | |__|________|_______|____|____|_サーンキヤ学派
4 <ヴァスバンドゥ、世親> シ 『ブラフマ シャバラス | | | |___ヨーガ学派
| |(5) ャ スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |『カーリカー』『ヨーガ
ディグナーガ、| ク |(4) (4) 『ニヤーヤ(5) マティ、慧月| |(4)スートラ』
6 陳那(6) | テ | | バーシヤ』|『十句義論』(5)| | | (4)
| | ィ | __| ウッディヨー | バルト | ヴィヤーサ
ダルマキ | 時 | | | タカラ(6) プラシャス リハリ | | (5)
8 ールティ | 代 シャンカラ |クマーリラ | タパーダ(6)(6) | |
(7) | | |(8) | |(8) | 『バーシヤ』 | | |
| | | | プラーバ | |____| | | |
| | | | ータカラ | ウダヤナ(10) | | |
| | | | (8) | | | | |
| | | | | アンナンバッタ(15) | | |
| | | | | ?『マニカナ』(17?) | | |
| | | | | | | | |
| | |<一元論> <___多____元____論____> <二元論>
<___唯___名___論__> <___実____在____論____> <唯名論or実在論?>
☆=語は常住、『顕現論者』、
◯=語は人為的、『生起論者』、中村元選集第25巻p418より