読み慣れない漢字が多い上に、久々の専門書は文章が硬く、一文が長く、非常に読みづらい感があった。
が、第三章に至り、著者自身が失った家族に対する記憶と情緒がにじみ、なぜ彼がこの主題にひきつけられるのかを見出すことができる。
本文はとても読みきれないという人にも、せめてあとがきだけは読んでいただきたいと、広く考えてもらいたいと、心から願う。
「祀る国家とは、戦う国家である」。著者は力強くそう言い切る。
一瞬、反論したくなるかもしれない。私もそうだった。
しかし、子安宣邦のこの議論に反論するのはなかなか難しい。安直な反論は簡単に撥ね返されてしまうだろう。それだけの峻厳さが、本書の議論にはある。
もし感情的に反発を覚えたら、ありきたりな反論は飲み込んで、著者の議論を念頭に置きつつ、伊勢神宮や靖国神社・遊就館を訪れて、一度よく考えてみてほしい。それまで見えていたものとは別の何かが見えてくるかもしれない。
個人的には、本書中で厳しく批判されている、近代神道の研究者たちからの応答に期待したい。シビアなやり取りになるだろうが、学問的に誠実な議論となれば、それは大いに有益なものとなるであろうから。