インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体

価格: ¥2,415
カテゴリ: 単行本
ブランド: 柏書房
Amazon.co.jpで確認
「いじめ」という状態を把握する方法が載っている本 ★★★★★
本書でコアとなっているP57〜からの基礎理論はいじめ問題以外にも十分に応用できる普遍性があるように思う。それだけに、後編に載っている教育モデルへの批判だけで、捨ててしまうにはもったいない本。

社会学や心理学の素地がないと若干読むのに苦労するが、支配・被支配の関係性をよくとらえている。「いじめ」のみならずドメスティック・バイオレンスや社会の中で起こる暴力一般に通用できる本であるように思う。中間集団全体主義という状態を取り上げたのも非常に面白かった。
いじめ解体 ★★★★★
凄まじい本です。学校におけるいじめの構造はこの本においてほぼ完全に
解明されています。この本は学術書でかつ独特の文体のため、読みにくさや
違和感を感じる人もいると思いますが、言葉の端々にとらわれず読んでいくと、
(まるで炙り出しのように)学校などの閉鎖空間での共同体に生まれる恐ろしい
悪意の構造が浮かび上がってきます。学校内の記述は決して卓上の推論ではなく、
少し前の自分の学校生活経験などから考えてみても、かなり正確です。

また、学校内で起こるさまざまな発達の阻害についても分析されています。
いじめは、当然ながらいじめっこやいじめられっこだけの問題ではないのですね。
学校に強制的に囲い込まれて、その中で人間がどのように自然な人との関わり方を
歪められていくか、それを理解する上でも役に立つ本でもあります。
良書です! ★★★★★
今風の「集団によるいじめ」が起こるメカニズムとその対策が、論理的かつ明確に説明されている。

本書では、いじめという現象が、学校だけでなく、集団内ではどこでも見られる現象であることを示した上で、学校では、本来一人一人が柔軟に調整すべき他人との関わり方が、クラスという密着した仲間関係に強制されることと、市民社会の規範(法律)が学校内には及ばないことで、いじめや暴力が、他の集団では見られないほどエスカレートすることを明示している。

著者は、いじめの加害者達の大半が、損得に敏感であることも考慮に入れ、いじめの応急処置として、
1.暴力系のいじめに対しては(教育機関内部のルールではなく)法システムにゆだねる。
2.コミュニケーション操作系(無視、悪口など)に対しては、学級制度の廃止で対応する。
を提言しているが、これは充分現実的な対策である。

その後に続く、長期的な社会制度改革の提言については、やや観念的過ぎる印象があり、前半の現状分析ほどの鋭さは見られないが、「普遍的に正しい生き方や人間関係のあり方は存在しない」という著者の認識そのものは極めて現実的であり、本書の後半で述べられているドメスティック・バイオレンスへの考察を見ても、著者の提示したモデルが、現実を良く説明できていることが分る。

学校という制度(特に学級制)そのものがいじめの原因になっているとする著者の指摘は合理的で説得力に富むが、残念なことに現在審議されている教育基本法の改定の条文は、教育機関による生徒(だけでなく保護者)の管理を強化するばかりで、基本法改定の狙いが、子供を取り巻く環境の改善とは、別の部分にある様子が伺える。
しかしながら教育の改善を阻んでいる、より根本的な問題は、読み書きそろばんのみならず、子供の心の成長まで、学校に責任を負わせようとる大人達の姿勢にあるのではないかと思う。
自由な社会を構想する希望の書  英訳と海外での出版を希望します ★★★★★
著者はまず国家レベルでの全体主義ではなく、学校や企業、戦前の隣組のような中間集団における全体主義の危険性を指摘します。学校のように個人が自由に離脱参入することが困難な中間集団において全体主義に巻き込まれ、こころをその場の「ノリ」に合わせてゆかざるを得ない状況で何が起こるのかをいじめを題材に取り上げます。この過程でそれまでのいじめに関する議論のあらゆるパターンとその問題点が提示されて行く様は圧巻です。

そして著者は精神科医・中井久雄さんを幼いころいじめていた子供たちが戦争が終わったとたんに別人のように卑屈な人間に生まれ変わったことを希望の論理として受け止め、制度・環境を変更することでいじめを抑止できるのではないかと論を進めて行きます。そこで行われるいじめの状況分析では著者の複眼的な思考が冴え渡ります。人は常に同じ秩序を生きるのではなく、複数の秩序がせめぎ合った状況を生きており、その中でも中間集団全体主義を蔓延させる秩序を破壊することで人々は他の秩序が優位になった中で平和に生きることが可能になること、さまざまないじめのパターンを呼び出す加害者の内面構成と利害関係の結びつきなどが指摘されます。ここで様々な図式が提示されますが、これらの理論モデルはいずれも有効に思えるので、これを元にして日本だけに限らず世界中で事例の分析やいじめ対策、実証研究が行われることを希望します。

また、著者の指摘どおりこれは学校や職場のいじめだけではなくDVや民族紛争にも適用し得る理論と思われるので今後の研究の発展が大いに期待されます。

ところで本の終盤では人が中間集団全体主義に捕われない、自由な社会と教育のモデルが構想されます。これがなんともグッと来る内容で、この本で本当に伝えたかったのはこの部分ではないかと勝手に思っているのでした。
偽善的要素一切なし ★★★★★
トクヴィル『アメリカの民主主義』などを読んで、国家と個人を媒介するような中間集団を形成することが国家レベルの全体主義の根を断つための最良の方法であることを学びました。ところが内藤氏は、いまや学校という中間集団自体が全体主義化してしまっていると説きます。学校という中間集団が、「子どもたちが共に学び共に育つ神聖なる学び舎」として神々しい捉え方をされればされるほど、「子どもたちが自分自身の力で考えて決定したことは絶対に尊重されなければならない」という名目のもとに、一般社会の規範を受けつけない閉鎖的な空間が形成されてしまうことになるからです。これでは子どもたちがカルト宗教のような集団狂気に走る危険性を防ぐことができないのです(というよりむしろ促進する)。共同する必然性のない赤の他人同士をそれぞれのクラスに機械的に振り分けてそこで多数決という手続きをとってみたところで、それが本来の自由主義的民主主義とどれだけかけ離れているかは明らかです。大抵の場合、同調圧力に屈した畜群が畜群の先導動物に追随する全体主義に陥るだけなのです。

内藤氏は、教育学界の体面などよりもまずいじめを受けている子供たちの苦しみのことを最優先に考えます。しかも「これこれこうだからいじめはいけないんだよー、悪いことなんだよー、みなさんやめましょうねー」などというよくありがちなルサンチマンに満ちたうさんくさいうえに何の実効力もない道徳論など一切説きません。あくまで人間には攻撃性があって当然だという事実を前提にして考えます。そして科学的・社会学的方法を用いていじめの発生を最小限に抑える方法を説きます。目からうろこが落ちるようでした。内藤氏はペンを武器にして戦う戦士だと思いました。