満洲本は多々ありますが・・・
★★★★☆
満洲本は多々ありますが、本書の特徴を一言で言うなら、俗に、
「軍閥」
と呼ばれる中国人勢力(張作霖など)からの視点が多く含まれているということ。
中国人は中国人同士でいろいろな思惑を抱えており、それが日本との関係でさらに複雑化していく様子がよくわかる。
満洲の歴史とは日本人だけが作り上げたものではなく、満洲人による満洲人の歴史がまずあるのだというきわめて当たり前のことが、本書を読んでやっと腑に落ちる感じだ。
もっともそういった切り口はあくまで前半までで、後半はわりとオーソドックスに満洲史をたどりつつ、そこでの生活や文化について触れていく。
よくまとまっているとは思うのだが、正直学術書の色が強く、数字や人名の羅列などが続いて、やや辟易するのも事実。
読み物なのか、学術書なのか・・・そこを絞ったほうがなおよかったのかもしれない。
ともあれ、読み応えのある大著です。
混沌とした (?!) 満洲のすがた
★★★☆☆
従来の見方にとらわれず,さまざまな面から満洲国をとらえようとしている.張作霖,張学良などの奉天軍閥の再評価,日本から進出した農家や商人が商売上手な中国人に勝てずに失敗したこと,農業技術の革新ができなかったこと,最近の回想録の傾向など,いろいろ興味ぶかい.内容がさまざまなぶん感想もまとめにくいが,そういう道教的 (?) な世界だったということだろう.
戦後日本へつながる満洲史
★★★★★
日本の昭和前期、十五年戦争についての議論は左右に大きく分かれているようで、実際にどのようなことが行われ、どのようなことが目論まれたのかについての記述は論者の史観によって大きく異なっているので、なかなか基礎的な事実についての著作も見つけ難かった。その点本書は、戦争期の日本の状況についての出来事やデータを多く含んだ基本書として読み込める1冊になっている。
構成は、第1章から第4章、第7章を十七世紀から戦後の中国東北部の状況についての通史に充て、第5章・第6章で満洲国の統治と政策・満洲国で生活していた人々の群像をそれぞれ分析し、第8章で全体の纏めを行っている。前々から満洲国のこと、満洲で行われていたことについて強い興味があったが、その好奇心は大分満たされたし、考えさせられることも多くあった。
よく言われることなのかもしれないが、やはり満洲国で行われた政策、立てられた計画は日本人にとっての壮大な実験だったのだな、という思いが真っ先に浮かんでくる。そもそもは日露戦争の戦後処理として浮上した満洲統治の現実性に、時の理想主義者や投機家、膨張主義者や困窮者が相乗りして進んでいった先、そこには中国人や朝鮮人、満洲人やロシア人もいて、各民族の各階層の思惑が殻まりあって衝突や対立、妥協や連携の網の目が張り巡らされていく。本書の記述を辿っていけば、2009年の現在から特権的な視点で断罪したり、賛美したりというよりも、まず現在にも形を変えて保持されている、社会の縮図としての利害のぶつかり合いの鮮明さが印象に残る。そして、本書で扱われている内容は、他のレビュアーさんも言っているように、戦後の日本のあり方に直結している。中央官僚が政治や産業をコントロールする手法は満洲で実践された後日本国内に適用され、現在に至るまで効果を保っているし、北朝鮮と満洲国の関係も本書で示唆されている。
十五年戦争については、硫黄島や沖縄での戦闘については多くが語られているのに対して、満洲でのことは広く語られていないように思う。しかし、満洲でのことは現在の日本について知るためにも大事な歴史であり、あるいは学ぶところの多い失敗した壮大な実践であり、多くの庶民にとっては裏切られた希望であり、富を得て生活を謳歌した人々には触れられたくない隠しどころであるかもしれない。参考になった1冊。
強い不満が残る
★★★☆☆
私自身は満州の歴史に全く詳しくないため、本書で書かれていることが非常に勉強になることは間違いはない。
また、他のレビュアーの方がおっしゃっているように、「満州の歴史」が手際よくまとめられているのもポイントが高い。
しかし、「はじめに」に書かれていることが、本論で十分に実践されていたのかは疑問だ。
長くなるが「はじめに」から引用する。
――
17世紀ならいざ知らず、日本が本格的に係わり合いをもつ19世紀半ば以降のこの地は、
漢族1000万人以上の農民が住み、毎年40万から50万人の農民が津波のように押し寄せ、
そして何もかも飲み込んだ大地を噛み砕く、漢族の自治の土地だったというべきだろうし、
その中から生み出された張作霖に代表される政治指導者たちは高い政治統治能力を持っていた。
それを「軍閥」という名称のもと、古いイメージでこの地と向き合った、
この大いなる錯覚が、東北をめぐる日中関係の不幸のはじまりだったのではないか
――(本書4頁より)
これは、石原莞爾が対満州政策の変更を余儀なくされたことを指摘したあとに、書かれた文章である。
つまり、日本による対満州政策は、誤った満州観に基づくものであった、と著者は言いたいわけだ。
しかしながら、私が読む限り、漢民族が満州で長い歴史を築き、張作霖らが高い政治能力をもってかの地を支配していたことを、
本書は手際よくまとめていたのかもしれないが、十分に論証していたとは言い難い。
彼が著した日中戦争史はおもしろい観点から書かれていたので期待したのだが、少し期待はずれな感じが否めなかった。
ただ、繰り返すが勉強になった。
弁解しようがない満洲国
★★★☆☆
満洲で育った女学校生が、日本内地へ旅行に行くと、みんな日本人の生活ぶりを見てショックを受けて帰って来るという。日本人が3K職場(きつい労働条件、汚い現場環境、厳しい管理体制)で働いているのが、植民地の「お嬢さま方」には想像の埒外で、そんなのは中国人(漢族)のする仕事だと思い込んでいたと言うんだね。
日本の満洲統治は、そのくらい根無草だったのに、いまだに「五族協和・王道楽土の夢」を棄てられない人たちが居る。そもそも、「五族」というのからして変じゃないか。いったい「朝鮮族」って何なんだろうね。当時としたら、「日本国民」の一員ではなかったのか。
典型的な学歴社会だった戦前の日本では、海軍兵学校や陸軍士官学校など、学資不要の教育施設(少ないながらも在学中から給与が出た)だからこそ進学できた程度、カスカスの生活だった家庭の出身者が、卒業して将校に任官したとたん、生まれながらの貴族のごとき気分になって威張り散らし始めた。軍組織が提供した伝令兵(陸軍は当番兵、海軍は従兵という=要はメッセンジャーボーイ)に身の回りを世話をさせ、下着を洗濯させ、偉そうに跪かせて靴紐を結ばせる等、たかが学校を出ただけのチンピラなのに、自分が給養する下僕か何かのように任務外の私用にコキ使って傲慢の限りを尽くした。人間的能力において何ら遜色はなくとも、兵隊の僅かな給与さえ割いて家族に仕送りするような階層の出身者が大半だった下士官・兵士と、このような学歴将校とは大変な角突きあいしていたというのが帝国陸海軍の真実の姿だった。
こうした豊かでない者たち相互の矛盾を、民族差別に転化して糊塗しようとした軍事クーデターが満洲事変だった。ひどく露骨な言い方になるが、日清・日露の戦役で、日本の軍人たちは、お手柄次第、「ご華族さま」にさえ出世できたんだから、俺たちも、お手柄が一丁欲しいというのが、昭和期の職業軍人が侵略戦争に賭けた本当の動機だ。
旧満洲国に職を得て、いまも賛美してやまない論者の語るところを聞くと、ところが、日本人コロニーのうちに限られた狭い知見をもって虚妄の煽を上げるばかりなのが大半で、あたかも白地図に線を引くような感覚、あるいは略奪物資を山分けするような感覚で満洲を語る。まさしく牧民官を気取り、(終戦時)4千万中国人の存在など、ほんとうに家畜の群れくらいにしか思ってないのだから呆れてしまう。
その点、本書は、客観的かつ比較的だがクール。
とくに満洲国建国以前の張作霖・張学良軍閥覇権時代(軍閥間に内戦がなかったので、当時の中国本部と比べると満洲のほうがずっと治安が良かった)や、「満蒙開拓団」の悲惨な実態に必要なページを割いた点など、新しい視点であって大いに評価したい。
日本が支配した時代の現実を何も知らず、伝え聞く虚妄の満洲国に嵌っている一部の諸君たちだと、本書の指摘くらいでも拒絶反応を起こしかねないと思うが、この程度に反発しているようでは、最早、その迷妄を醒ます薬など、どこにもないといえる。評者としては、こんなんではまだ甘く、日本人をとことん堕落させた満洲国は、さらに徹底して批判されるべき存在だと考えるが、このていどでもなお、とかく日本の旧満洲支配を賛美したがる論者諸君には、まずは手に取ってみるべき覚醒の書として、ぜひ推薦したいと思った。