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働きすぎに斃れて――過労死・過労自殺の語る労働史

価格: ¥3,360
カテゴリ: 単行本
ブランド: 岩波書店
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「鎮魂歌」ゆえに「応援歌」−勤労者を覆う輪の、どこか一ヶ所を断ち切る− ★★★★★
 本書を手に取ると、ズシリと重く、読むとそれは、書かれている事態の重さと著者の想い(怒り、鎮魂、共感、無念、遺された者への応援歌)が積もった重さであった。重いのだが、一気に読まされる。
証券マン・教師・トラック運転手・ファミレス店長・自動車工場・設計技師・銀行員・・・、そこには「名ばかり店長」「派遣や請負の非正規社員から管理職社員まで」の葬列があり、「いじめ」とパワハラがあり、「弱い者が夕暮れ さらに弱い者を叩く」という風景があり、それを奨励して「統治」する日本の労働現場の「構造的ひずみ」が在る。成果主義・ノルマ・強制された「自発性」・提案と反省文の強要・連帯責任・度外れたサービス残業・全面屈服を前提に成る人事考課・派遣請負化・・・つまりは積年の労使共謀による合作たる「共助風土の解体」が在る。 
 葬列に立ち会う者のごとき著者が、込み上げる感情に筆を奪われまいと抑制・苦闘した跡が、行間のそこここに溢れているのだが、その感受性に裏打ちされた筆致は、さながら作家が書いた「物語」の様相を呈してもいる。が、情緒の物語が、涙を流したところで終わるのなら、これはそこから始まるのだ、直接性の世界が・・・。
読者には、否応無く、本書が言う通りの「強制された自発性」に追われた昨日・今日の職場があり、「名ばかりの管理職」の激務に満ちた明日の仕事がある。人生の大きな部分を占有している労働の「場」、出口のないその「場」を変えてゆく方策を掴まなければ、「燃え尽きるまで働き」「斃れる」のは「ひと事」ではなく、明日の自身かもしれないという追い詰められた者の臨場感がある。
 著者が言う、『形成されるべき労働者像とはおそらく、価値基準としては、自分にとってかけがえのないなにかに執着する「個人主義」を護持しながら、生活を守る方途としては、競争の中の個人的成果よりは社会保障の充実や労働運動の強化を重視する「集団主義」による――そうした生きざまの人間像であろう。』との言葉から、この書が「鎮魂の書」「告発の書」であればこその「応援歌」に聞こえ、こう思った。
労働→生産→誘導された購買消費生活→社会的位置→横並び願い→労働→生産→・・・この強固な環状エンドレスの輪が現に在る限り、加えて企業がそして多くの場合労働組合までもが、その輪を打ち固める側に在る限り、ぼくらは、環状エンドレスの輪に沿った場に居続けるのではなく、ぼくら自身が、その輪の身近かな切断可能な箇所を「エイヤッ」と「断ち切る」のだと。輪は必ず綻び始めるのだと。ぼくらのそうした挑みこそが、勤労と生活を覆う自身の価値観総体の変更=「集団主義」への出発点だと。   
感情と 公平さがね 混じってる ★★★★★
1.内容
日本の職場に過労死があるのは有名だが、1990年代にはいっても、過労自殺も生じている。そこで、トラック労働者、教員、現場リーダー、若年労働者の労災認定、損害賠償を求める動きを描写することによって、どうして過労死が生じたのかを探求したのが、この本である。この本を読んで、著者が過労死の原因と考えていることは以下の通り。すなわち、競争やノルマの厳しさがある反面、人員補充がないので、1人1人の労働者に長時間残業や本人が希望しない職種への異動などによって労働者が過酷な状況に陥っているが、労働組合は助けにならず(会社とともに過労死であることを隠そうとした組合のことも載っている)、会社と労働基準監督署の癒着も疑われ(その結果、なかなか労働災害が認定されず、裁判になり解決に10年以上もかかってしまう)、労働者は過剰に適応せざるを得ない。その結果、一部の人に出てしまうのが、過労死・過労自殺であるが、多数の労働者が同様の条件で働いているのだから、他人事とせず、根絶を目指すべきである。
2.評価
最近の過労自殺や、パワーハラスメントのことも載っており、現時点で、過労死・過労自殺をはじめとした、労働現場の問題を考える上で有益な本になっている。ただ、感情的なところも散見され(いちいち記さないが、ノルマをなくすことはたぶん不可能)、公平さが物足りないと感じてしまう人もあろう(私は、企業側だけが悪いのではなく、労働組合の問題も指摘できており、肯定的に評価する)。また、過労死・過労自殺の被害者以外の人に結構酷いことが書かれているところもある(たとえば、p247のKIは申し訳ないが「暴行」したのだから処分は仕方ないだろう)。このような欠点もあるが、裁判などの事例を豊富に取り上げ、丁寧に書いているので、星5つ。
3.この本を読んで浮かんだアイデア(と書いたが、抽象的に)
(1)現在より解雇・退職しやすくする(解雇されにくいので解雇が重大なことになってしまうのではないか?)、(2)解雇・退職された人がすぐ次の職場を見つけられるようにする、(3)見つけられなかった場合の保障を充実させる、以上3点。過労死・過労自殺の一因が、労働者が会社を辞めにくい状況にあることを重視して。
本書の読書会を ★★★★★
 「一隅から照らす」といった言葉がある。「過労死・過労自殺」を一隅と見ていいかどうかは議論の分かれるところだが、その「一隅」から現代の労働を照射した労作が本書ではある。
 トラック労働者、工場・建設労働者、ホワイトカラー・OL、教師、管理職・現場リーダーと、種々の労働者の事例をまとめながら挙げて現代労働の全体をカバーする手法を採っている。基礎資料をもとに事例・判例研究を重ねていて時日の経過に耐える本に仕上がっていると言えよう。
 問題の一つは、本書を誰がどこでどう読むかであろう。「共同学習」の輪を広げ、つなぐのがいいのではないか。著者はその経験が豊富だから、すでに始まっているのかもしれない。本書の書評が一般紙誌に出ているかどうか評者には分からないけれども、取り上げにくいようだ。その制約を超えるには、労働組合、企業、学習機関などが本書の読書会を主宰し、本書の提言をよりどころにあるべき労働の姿、制度、実践を語り合い、その経過を横断的に結ぶことが望ましい。今後の出版社の仕事には、そうした活動が重要な要素になると愚考する。その先駆例となってほしい。
他人事では無い過労死・過労自殺という受難 ★★★★★
 この本は、労使関係論の第一人者として知られる熊沢誠氏の渾身の最新作であり、やはり「さすが」と思わせる内容となっている。50人以上の過労死・過労自殺被災者の働き方・働かされ方と遺族のたたかいを、情理をつくして記述していることが本書の最大の特徴である。その裏にあるのは「産業社会の構造的なひずみはかならず個人の受難として現れる」(p15)という熊沢氏の基本スタンスであり、「個人の受難」の詳細な記述から導かれる「構造的なひずみ」の分析により、日本の労働現場に一般的な問題点が浮かび上がる。過労死・過労自殺は決して他人事ではない。読者の多くが、被災者達の働かされ方の記述の中に「これは私のことだ」と感じるものを発見するだろう。
 ちょうど『女工哀史』という85年も前に書かれた本が現在でも重要な資料として参照されるように、本書は20世紀後期から21世紀初頭の日本の労働現場のあり方を記述・分析した最良の書として、100年後に参照されるものではないだろうか。その時「昔はひどかったんだな」と思い出される事を期待したいが、そうなるためには我々の目の前にある現実を変えていかねばならない。そのように訴えかけてくる本である。
「強制された自発性」の罠にとらわれないために ★★★★★
最近、派遣や請負といった非正規雇用労働の問題点を取り上げた書籍は多い。しかし正規雇用労働者(正社員)たちも、それに劣らず深刻な状況におかれていることを、本書は明らかにする。
中心部分をしめるのは、50人をこえる人々が過労死や過労自殺に至るまでの経緯と、その後の裁判などの詳細な記録である。400ページ近い大著で、しかも陰鬱なテーマであるが、一気に読み通させるほど、それらの記録は強い迫力で訴えかけてくる。
事例分析だけでなく、様々な統計データを駆使することによって、筆者は過労死/過労自殺が、決して極端な例外ではないと警告する。近年の絶え間ない合理化・人減らしによって、仕事の量は増え、企業の要求はますます厳しくなっている。ただ「ふつう」の生活を維持するために、人々は耐え難い重労働を強いられる。
しかし本当に恐ろしいのは、過労死に至るほどの激務を、企業が「自発的」な労働と言い捨てる点にある。増え続ける裁量労働制や「名ばかり管理職」制のもとでは、たしかに何時間働けとは命じられない。けれども「達成すべきノルマや『予算』や納期の割り当ては厳存する」のであり、それを守れなければ過酷なパワハラが待ち受けている。転職もままならず、「企業内の成功者にならなければ肩身の狭い生活しかできない」と自分を説得しつつ限界まで働くという、「強制された自発性」しか、道は残されていない。
このような惨状を打開するために、筆者は労務管理の改善や、構造的な労働時間短縮、組合運動の方向修正など、さまざまな方策をあげるが、何よりも「『自分と家族の生活のため』と『会社の仕事のため』とを峻別できる労働者像」を形成しなければならないという。
それは会社と仕事よりも、家族と生活を優先してなお、この社会で生き抜く道を創り出さなければ、幸せな未来は期待できないということであろうか。