買いです。
★★★★☆
解説で柴田元幸氏が言及されているカーヴァーよりも、訳された言葉の質感からブコウスキーを連想しました。また、昨年読んだ「通話」のロベルト ボラーニョより、当たり前といえば当たり前ですが、描かれている「暴力」がずっと乾いているので、その分猥雑さに欠けるところがあり、したがってそれだけ風通しがよいような印象も受けました。しかし、作品の並べ方と「ジーザス・サン」というタイトルから、この文体がなければ矮小化した読み方に陥ってしまいそう(解説で柴田元幸氏もそのことに触れています)ですが、いずれの作品にもそうさせない「毒」のようなものが仕込まれており、はまれば容易には抜け出せない、麻薬性の魅力を有した作家です。また、村上春樹氏の「バースデイ・ストーリー」に、「ダンダン」という短編が収められており、そこに付された氏による短い解説も、この作家の特質を知る有用な手がかりを与えてくれます。
それほどでも・・・
★★★☆☆
本の装丁というか、手触りはいいですね。
内容に関しては、1992年にアメリカで絶賛されたそうですが、
2010年に生きる日本人の自分には背景がちがうのであまり響かなかったです。
それほど悪くもないけど、そんなによくもないかなあと。
すさんだ生活の描写の中に、ときどき気の利いたフレーズが出てくるあたりは
ブコウスキーを思い出しますね。
でも、これなら『ポストオフィス』の最後の一文のほうが印象的でした。
デニス・ジョンソンの本格的な邦訳
★★★★★
本当に面白かった。現代アメリカを舞台にした短編集ですが、デニス・ジョンソンの独特な文体は、対象を突き放しているようで実はひとなつっこい。売人や前科者や中毒者ばかりを描きながらも、冷徹にドライになりきれないのは作者本人の性格なんだろうなぁ。過激なようでメロウな短編小説集。
内容をちょっと抜粋してみた;
ヴァインではそういうことがしょっちゅうあった。今日を昨日だと思ったり、昨日を明日だと思ったり。それは俺たちがみんな自分のことを悲劇の主人公だと思っていたからだし、いつも酔っぱらっていたからだ。無力な、運命に呪われた気分を俺たちは抱えていた。俺たちは手錠をはめられたまま死ぬのだ。生なかばで断ち切られ、しかもそれは俺たちが悪いんじゃない。そう俺たちは想像した。でも俺たちはいつも、何か馬鹿みたいな理由で無罪になるのだった。(『保釈中』)
翻訳者の柴田元幸さんの解説もよかったです。ちょっとだけご紹介。
いま読んでみると『ジーザス・サン』で何より目立つのは、そこらじゅうに地雷が仕掛けられているかのような、その文章にみなぎる電位の高さである。突如出てくる、書き違いではないかと思えるような一見場違いなフレーズ(たとえば「ヒッチハイク中の事故」や「仕事」の終わりの一文)は何度読んでもインパクトを失わない。そうしたほとんど幻覚のような衝撃力をもった言葉が出てくるのは、登場人物たちのみならず、作者デニス・ジョンソン自身がかつて薬物常用者だったこともある程度は関係しているにちがいない。だが言うまでもなく、薬物常用経験者なら誰でもジョンソンのように書けるわけではない。
「タルサ」のような小説
★★★★☆
イカれたレイモンド・カーヴァー。あるいは、アップデートしたブコウスキー。けど、どちらもある意味では当たってるし、ある意味では違う。どう形容したらいいのだろう?
とにかく読んでいると、突然、こんな流れになっちゃうの!なんて文章が結構出てくる。おそらく、誤訳ではないだろうからそういうものなんだろうけど、クスリを試したことのない僕から見れば、奇妙奇天烈。イカれてます。以前にも柴田元幸、村上春樹、あとは青山南がこの短編の訳出を試みているのだけれど、その短編は「ダンダン」「緊急」の二つだけ。それもよく分かる気がする。他のはちょっとキてる。ジミヘンのギターを聞いて、文章を書き始めたらしい、なんてエピソードを読むとそれもそうかな、なんて思う。
一応連作の短編集で、最初から最後まで通して読むと、同じ場所、同じ登場人物が違う話でちょこちょこ出来る。一応ラストの話は希望を感じさせるけど、中身は覗きの話(笑)。イカれてる。
カーヴァーでもなく、ブコウスキーでもないけど、何に近いかな〜と考えて、ラリー・クラークの写真集に出てくる登場人物に近いかな〜と思った。セックスとドラッグ。希望もないが、取り立てて絶望もない。そんな感じの短編集。長編も読んでみたい。
ついに和訳登場!
★★★★★
92年に刊行されなかなか翻訳されてきませんでしたが、ついに和訳されました!原書で読んでみたときには、私の英語力では現地で絶賛されてているほどの感動はありませんでした。しかし、今の日本社会にとって若者にとってこの本は多くのことを啓示しています。