学問的アプローチについて評するならば、従来の「参与観察」を否定し、生活を共にしてみる、そして彼らの「共同幻想」を受け入れる(というより、信じる)という歴史アプローチはまさに画期的なものだ。しかし、この本の真価はその新しいアプローチを提唱したことではない。こうして得られたアボリジニの「歴史」を「神話」と捉えるだけでは、知的コロナイゼイションという旧タイプの文化人類学と変わりがない、と著者は主張する。これを「歴史」として受け入れるためには「そういう考え方もありますね」と認める「文化相対主義」では十分ではなく、「信じる」ことができなければならない、という視点こそが、この本で打ち出された一番の功績だとわたくしには思われる。
どうしたら「信じられる」のだろう? 著者はアボリジニとの共同生活を通じ、そういった「歴史観」を持つのが自然であり、かつ生活に有用な環境に身を置いていた。自分と異なる歴史観を持つ方々のそれを理解するためには(例えば「自虐史観」と「修正主義」のあいだ)、決してアタマでは理解できず、もっと肉体的な面も含めた濃厚な接触や共同生活が必要かもしれない、という可能性を示している。
オーラル・ヒストリーに、その限界を超える新たな思想を付け加えた著者のあまりにも早い逝去は本当に惜しまれる。慎んでご冥福をお祈りしたい。