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憲法とは何か (岩波新書)

価格: ¥735
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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憲法と戦争の関係 ★★★★☆
 フランス王ルイ14世は「朕は国家なり」と言ったが、本書流に言えば「憲法こそ国家なり」となろう。
 フィリップ・バビットによると、絶対王政から革命期を経て立憲君主制に移り、三種の国民国家(議会制民主主義、ファシズム、共産主義)が鼎立する状態になる過程には、戦争形態の変遷が大きく影響を与えていたらしい。
 ナポレオン時代の様に騎馬隊などの突撃戦法・会戦が有効な時代には、短期間に兵力の集中運用を行えば戦争の決着がついたが、銃火器の発達はその様な戦法を無効にしてしまい、徴兵制による大量兵員の分散・包囲による戦略が主流となった。この徴兵の代償として、国民は政治参加範囲を拡大させることとなり、徴兵を正当化するために、戦争の結果として国民の福祉が向上することを国家目標とするようになった。これが国民国家であり、それぞれの性格を決定づける概念が憲法である。
 第二次世界大戦や冷戦では、異なる性格を持つ憲法に対する攻撃が行われた。前者では議会制民主主義と共産主義の共闘によりファシズムが粉砕され、後者では共産主義が崩壊して集結した。この結果行われたのは、勝者による敗者の憲法の書き変えだった。つまり、第一次世界大戦以降、戦争は憲法の書き換えを行わない限り集結しない仕組みになっていたのである。

 三種の国民国家は全く異なる性質に思えるけれど、いずれも国民の同一性・均質性を要求するという点では同じだ。ただ、その実現方式として、共産主義は階級の同一化を、ファシズムは民族の同一化を選択する。一方、議会制民主主義は、公と私を分離し、私には多種多様性があることを認めつつも、公として同一であることを要求される。
 では、これらの特質を決定づける憲法、特に議会制民主主義における憲法は、どのような性質を持っているのだろうか。H.L.A.ハートの慣行的理解によると、古い法律は新しい立法によって改廃されるが、道徳的な準則や原理はこうしたやり方では改正されないという。
 社会生活における人々の権利や義務は、本来、社会的慣行として成立する。それをテキスト化したものが憲法だという。ゆえに、テキストを改正したとしても、社会的慣行がいきなり変わるわけではない。逆に言えば、テキストを変えなくとも、社会的慣行が変われば、その運用として下位法を改正することにより、実際上、憲法改正されたのと同じ効果をもたらすことが出来るのだ。この考え方が一理あるということは、例えば、"憲法の政府解釈"という行為を見てみればよいと思う。

 前半は憲法の性質について、後半は首相公選制や憲法改正議論などに対する反対意見・無意味さの論理を展開している。個人的には、前半の議論が色々と考えさせられ面白かった。ただ、一文が長いことが多く、文頭と文末で何を言っているのか分からなくなることもあり、いかにも法律家的な文章だなとも思った。
戦争とは相手国の社会契約、憲法に対する攻撃というルソーの『戦争および戦争状態論』の紹介 ★★★★★
 立憲主義とは、生活領域を私的な領域と公的な領域に区分して、私的な領域では各自の信奉する価値観に沿って生きる権利が保障されるけど、公的な領域では、社会全てのメンバーに共通する利益を追求するものでなければならず、これは、人々に血みどろの紛争を避けるかわりに、ある程度の無理を強いる枠組みだ、という概念規定はスッキリしているな、と感じました。

 この本は、自民党が郵政選挙で圧勝した勢いを持って、能力・識見とも史上最低だった首相の元で、憲法改正の動きに出そうとしていた時期に書かれました。著者は、こうした動きには反対の立場なのですが、その前提として、太平洋戦争の敗北によって日本はアメリカによって国体を変更されていることを強調します。日本は、あれ以上の国土と暮らしの破壊を防ぐために、無条件降伏をして、その結果、根本的な社会契約=憲法を変えることを受け入れたのだ、と。改憲派の目的は憲法九条の改正ですが、現状の九条で自衛隊を保有していもなんら問題はない、というのが長谷部先生の立場。九条や二一条は原理(principle)であり準拠(rule)ではないとして、九条が準拠(rule)であるという解釈は立憲主義とは相容れないと切り捨てます(p.72)。

 そして憲法が通常の法律より、変えにくくなっているのは、危なっかしいことで憲法をいじるのはやめて、通常のプロセスで解決できる問題に政治のエネルギーを集中させるためだ、としています(スペインやスウェーデンでは総選挙を挟んで二度の国会発議が必要とか)。この本を読むと、幼稚な国家主義的発想から不要不急の憲法改正にのめり込んでいった自民党政権が、本来、対処しなければならない政策課題を放っておいた結果、年金問題などから総スカンを喰らって、今回のような大敗北を招いた、ということがよくわかります。
むかしなつかし文化人 ★★★★☆
戦後、1970年代くらいまで、日本には「文化人」と呼ばれる人たちがいた。彼らは豊富な学識と流麗な文体を武器に、東西冷戦から公害問題まで、幅広い話題について華々しい論戦を繰り広げたものである。だが、今ではそうした人たちはどこかへ消えてしまった。現実政治の諸問題の解決に必要なのは、教養の豊かさや文章の巧みさではなく、もっと地味で着実な社会工学的専門性だということが徐々に認識されるようになったからである。論壇貴族たちの華やかな論戦は、結局のところ、装飾された床屋談義以上のものではなかったのである。

丸山眞男が繰り返し引用されることからも推察されるように、著者にはどうもこうした万能文化人への憧憬があるようだ。それが本書の記述の所々に「危うさ」を感じさせる要因ともなっている。たとえば著者が、「冷戦下において共産主義の脅威に対抗するためにアメリカの核の保護を受けたことは…合理的な選択であったといえる。しかし、それ以上に、他国の体制の変更を求めて武力を行使することを厭わない特殊な国家(評者注:アメリカのこと)との深い絆を求めるべきか否かについては、より慎重な考慮が必要であろう」とか、「深刻な環境問題に対処するために必要な地球規模の協力関係を構築していく上で、そうした特殊な国家と深い絆を結ぶことの有効性をいかに評価すべきかも重要な考慮要素となる」と、良く言えば慎重な、悪いく言えば回りくどい言いまわしで語る時、著者は自分が述べていることをどこまで理解しているのだろうか。著者が誇る欧米政治哲学の豊かな識見は、日米関係や環境問題についての何の専門性も保証しない。ここでの著者の発言は、素人の床屋談義以上のものではない。憲法学者が憲法学者として語り得る範囲は、著者が考えるほどには広くないように思われる。

勿論、本書には憲法学者ならではの見識も多く含まれている。たとえば巷で主張される改憲論の多くが法学的に無意味であることを示す冒頭のくだりは、憲法学者ならではのものである。だが、専門外の事柄と専門内の事柄を一冊の本で語るのは、非常に危険なことだ。同様の路線をとり続けた場合、いつか専門外のことで筆を滑らせ、著者の憲法理論の信用性まで損なわれる結果とならないか。特に昨今、専門家の専門外での不用意な発言は、ネット言論での格好の批判対象となる傾向がある。人ごとながら心配である。
「立憲主義的憲法」の分かりやすい入門書 ★★★★☆
 大学で憲法を学ぶ者は、授業の初め頃に憲法の法源、形式的意味の憲法、実質的意味の憲法と順を追って学ぶと思う。その後に立憲主義的憲法について学ぶ。その時大抵の授業では18世紀頃の欧米の近代市民革命の歴史的変遷やフランス人権宣言16条の意味等を教わる。ただそれでも立憲主義的憲法の内容が分かりにくいと感じる者は多いと思う。そういう人にこの本をお勧めする。この本を読めば、立憲主義とはなにか、立憲主義的憲法とはなにか、がかなり考えやすくなると思う。これと合わせて、高橋和之先生の『立憲主義と日本国憲法』を読めば立憲主義的憲法である日本国憲法の現状と将来を自分なりに再考するのに非常に役に立つ(授業で単位をとるのにも役に立つ)と思う。特に大学1・2年生で憲法の授業をとる者にお勧めする。
わかりやすいです ★★★★☆
長谷部先生の本です。

とても読みやすく内容もしっかりしていると思います。
立憲主義の成立から冷戦の終結、民主主義の台頭と順を追って述べてあります。

章ごとに著者の書きたい内容や目的などが明確にまとめられており、読んでいて
流れるように頭に入ってくるような気がします。
ですが、読みやすくても書かれている内容は深く内容も濃いので繰り返し読むのが
一番よいと思われます。

憲法の本の中でも比較的よい本だと思います