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アメリカ人弁護士が見た裁判員制度 (平凡社新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 文庫
ブランド: 平凡社
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(アメリカの)陪審制度が素晴らしいものではないが、それにも遠く及ばない裁判員制度。 ★★★★☆
 類書に比べ、陪審制度の紹介と対比に読むべき点はあるものの、類書が出すぎた事もあり、それ以上の新たな着眼点があるわけではなく、参審制度との対比がなかったのも残念。

 検察・判事が裁判員の守秘義務を逆手に取り、冤罪でも死刑でも自らの責務に対するエクスキューズに裁判員を使う蓋然性は高く、このままでは司法の側の免罪符であるに過ぎないだろう。
 そうでなくするには、判事をもリードする法律知識か、執拗な疑問の投げかけ、処罰を覚悟で合議体の評議内容・評決について多くの裁判員がメディアなどで公表し、形骸化するしかないが、取調べや検察側が保持する全ての証拠の可視化・代用監獄などそれ以前の問題も山積している事も忘れてはならない。
 それにしてもこの制度を民主主義を保つための権利と思わず、義務と思う人が大半では、“開かれた司法”とは程遠い制度としかなりようがなく、当初の目的どおり国民のためではなく、公権力が国民を屈服・コントロールする制度となることは目に見えている。

 米の陪審制度を「法に盲従した正しさ」ではなく、執行判断、被害者と被告人の周辺事情等を総合的に考慮した、市民にとっての「正しい結果」を導き出せると持ち上げるが、感情判断による冤罪が過去25年間に130名の死刑判決者であった事や、イリノイ州での13名の死刑囚の冤罪が発覚し、オバマ上院議員が死刑事件の取調べ過程のビデオ録画を課す法案の発起人になり、2003年に法が成立した件などが抜け落ちているのはいただけず、減点した。
似て非なるものだが、陪審に近くなるように期待したい。もっとも、制限も時代の流れだが ★★★★★
1.内容
2009年5月21日から裁判員制度が施行されたが、この制度は日本の法制度一般と同じく、「お役所」に都合のいいものとなっている。このような問題意識の下、陪審制度とは何か(そもそもは情報収集のためだったのが、公権力に対する最後の砦になった)、日本の裁判員制度の問題点は何かを、「アメリカ人弁護士」が、主にアメリカとの比較で書いたものである。
2.評価
アメリカよし、日本ダメとも取れるが、そう取るべきではなく(損だから)、著者なりの人権感覚の鋭さを評価すべきだと思った。また、著者の議論の展開が極めて皮肉の効いたものであり、それが意外と面白かった。少々極端なところもあると思ったが、極端な事例の想定も有益だと感じた。以上、陪審との比較、アメリカ的な法意識との比較で、裁判員制度を批判した好著だと思うので、星5つ。ただ、あえて言えば、大陸法的参審制との比較が足りないので(もっとも、この制度の起源は陪審制)、次はドイツ人かフランス人から見た裁判員制度批判を見てみたい。
諸悪の根源は最高裁事務総局 ★★★☆☆
自分の裁判体験(民事が数回=勝訴、敗訴とも経験。刑事事件の被害者になったこともあるが裁判には関与してない)をもとに言うと、裁判官という職業の人たちは、法廷に提出された証拠や証言よりも、原告、被告の職業や履歴のほうに強い関心を持つ、予断と偏見のかたまりであり、大半は、まともな事実認定ができない人間たちだったという結論になる。
なにゆえか。ほとんどの裁判官が、人事権を握る最高裁事務総局のほうに顔が向いた「お役人」だからだ。
実際、「裁判官の独立」という言葉くらい現実と建前が乖離した言葉もめずらしい。
現在の日本国の裁判所の官僚体質は、きわめて旧帝国陸海軍に近く、「統帥権の独立」と同じような意味で「司法の独立」は悪用されている。
最高裁は、最終的な判決確定権を持つ(これは世界中どこでも同じ)にもかかわらず、事務総局を通じて強固な裁判所行政権も握って、地裁・高裁判事の判決判断まで、完全にその統制下においているのが実情といえる。
さしづめ事務総局は陸軍省、海軍省の「軍務局」で、調査官室は参謀本部、軍令部の「作戦課」といったところか。
この新しい裁判員制度が持つ欠点は本書が指摘する通り。
何よりも問題なのは、これまた旧軍部そっくりの徹底した秘密主義にある。
もとはといえば、時間の掛かりすぎる民事訴訟の改革を求められてスタートしたはずの裁判制度改革が、いつの間にか奇態な「裁判員制度」導入に捻じ曲げられてしまった。著者の指摘するとおり、「市民参加」は批判封じが目的であり、「守秘義務」は官僚裁判官の統制のもとに市民を囲い込む狙いに出るものだろう。これまた戦前期日本の、大骨も小骨も、みな抜き取られ形骸化した「陪審員制度」が辿った末路を予想させるものがある。
ただ、彼ら裁判所官僚が思い違いしている点もある。
現在の日本国民の平均的知的レベルに比べ、職業裁判官の法的知識の水準は決して高くないということ。
彼らが「世間知らず」なのは、日本国民なら、みな等しく持っている常識だが、若いときに難しい試験に良い成績で合格したという思いから、彼ら自身は、自分達は頭が良いと過信しているけれど、おしきせの模範答案を詰込んでいるだけの法律知識で、総じて頭の回転は好くないし、白か黒か悩ましい問題に「疑わしきは罰せず」という当たり前の判断ができない(だから自白に頼る)。もともと奇麗に割切れる性質のない問題には回答を出す術を持たない。
今後、市民参加が実現すれば、裁判官も、これまでの自己の過ちに気付くことになって、たぶん数パーセント程度だが無罪判決率が上がることになる(日本の戦前の陪審制でも無罪率は約15%あった)だろう。
もう時間も差し迫っているので、さしあたり、この世界に類例のない裁判員制度でスタートするしかないが、この仕組み、5年後くらいを目処に陪審制を導入するまでの過渡的措置とするのが良いのではないか。
とにかく、法曹人口が日本は圧倒的に足りないうえ、市民参加制度に経験のない人間ばかり。法曹三者と裁判所そのものを何とかしないことには、司法改革など、二進も三進もいかないのが現実だ。
今後における司法改革の要点は3点。
第1に最高裁事務総局の解体。
初審裁判所や控訴審裁判所に関する裁判所行政は地方自治体に任せ、最高裁の権限は判決高権(最終的な判決確定権限)に限る(当然、警察や検察も分権化される)こと。
第2に法曹一元化。
まったく社会経験のない「純朴な良い子たち」を、試験の成績しだいで官僚裁判官に仕立てあげる現行人事システムを壊さないことにはどうにもならない。組織や制度を動かすのは結局「人」だということ。
第3に報道機関と警察ないし検察との癒着を潰すこと。
現在のように検察、警察に取込まれた一方的な垂れ流し報道を許すなら、まったく「推定無罪」の論理など「画餅」にすぎなくなる。閉鎖的記者クラブ制を廃止して官僚統制からジャーナリストを解放することが必要。
裁判員制度は誰のために,何のためにやるのか? ★★★★★
アメリカ人弁護士ならではの「斜め上」からの視点で語られる異色の一冊。
陪審員制度との比較法的観点からの分析も面白い。

著者は「『普通の人はバカか幼稚だ』というのが,裁判員制度だけでなく,日本の司法制度全体の一種の前提となっている。」 という。
確かに,最高裁の発行している「裁判員制度メールマガジン」の内容は,とても裁判員の候補者となりうる人たち(有権者)を対象としているものとは思えず,中学生を主な読者層と考えているかのような文面である。 広報担当者が,このメールマガジンの位置づけをどのように考えているのか疑問である。

法の趣旨と守秘義務(裁判員法9条2項)との関係では, 「裁判員制度の趣旨にあるように,制度の目的が国民の司法制度に対する理解を深めることにあるなら,経験をした人の口を封じ込むことは,目的達成の観点から非常に効率が悪い。」 と,守秘義務の合目的性に疑問を呈する。
もっとも,この点に対しては,次のような反論が考えられる。
守秘義務の対象は,評議の秘密その他の職務上知り得た秘密であり,制度に関する感想や,刑事手続そのものに関することであれば,話すことは可能だ。
制度に対する理解を深めるためには, 評議の内容に触れる必要はない。
ただ,裁判員経験者の口から制度そのものに関する議論が出ることは有意義であるが,守秘義務の対象があいまいだと,そのような議論が萎縮してしまうおそれはある。

「裁判員制度の成功に向けて云々」といったフレーズがあちこちで聞かれるようになったが,
「裁判員制度の成功」とは,いったい何なのだろうか。
陪審員制度との比較で見た裁判員制度 ★★★★☆
第1章は「アメリカ人弁護士から見た日本の法律制度」で、日本では当たり前だと思っていたことがアメリカ人からみれば奇妙だ、という話はそれなりに面白いが、本題は第2章での陪審員制度の解説と、それと対比する形で論じられる第3章の「裁判員制度の謎」である。

陪審員制度は、国家権力の横暴から個人を守る目的で作られ、何百年もの歴史を刻んできた。被告を有罪とする証拠が充分に揃っているかを判断することだけがその役割であり、有罪にする場合は(無罪にする場合もだが)陪審員全員の一致が必要だったり、一審で無罪判決が出れば検察は控訴ができなかったり、被告を守るための仕組みができている。
そして、陪審員制度は意外にもかなりの確率で妥当な判決が下されていると言う(証拠はないが)。

それに対して裁判員制度は言われている目的自体が陪審員制度とは全く違うし、しかも、その目的に沿った制度設計になっていないと的確に指摘している。それに関しては、「健全な社会常識を反映する」のが目的としつつ、できるだけ裁判員の意見が採用されないような仕組みにしているところなど、建前と本音が違うというのは明らかなことなので納得できる。
著者の見立てによれば、どうも裁判官の身を守るための制度のようであると。

外国人弁護士の目から見ることで、陪審員制度との比較という視点で裁判員制度のおかしさを的確に捉えており、制度の目的に立ち返って考えることできるという意味で有用な本と言えよう。