かつて自分自身になるための道を探してヘッセ文学に親しみ、今は社会の中で自分自身を見失いかけているかつての文学青年たちに読んで欲しい。きっとヘッセはもう一度あなたに「道」を示してくれるだろう。
ヘッセは第一次世界大戦のときも、またその後の1920年代以降も、ドイツの戦争への傾向に対し反戦の主張し続けてきたが、逆に「売国奴」と罵倒されるか無視されるばかりであった。次第に第二次世界大戦が近づき緊迫した空気の中で、ヘッセは小説家としてできる唯一のこととして、一つの小説を書き上げることに全力を尽くした。そして11年もの歳月をかけて創出したのが、この『ガラス玉演戯(Das Glasperlenspiel)』である。出版は1943年。この小説はヘッセが小説家としての使命を見定めた上での、現実へのコミットメントでもあるのだ。
学問と芸術の神髄である「精神(Geist)」を瞑想によって融合し、その究極の体現として音楽の如く「演奏する(spielen)」のが、この作品のタイトルにもなっている「ガラス玉演戯」というものである。主人公クネヒトはガラス玉演戯名人にまで登りつめるが、自ら志願して一人の若者ティトーの家庭教師となるに至る。
これは、「精神」への奉仕、ひいてはそれを受け継ぐべき次代の若者への教育の奉仕という、ヘッセの理想を描き出したものである。
クネヒトの最期のシーンは賛否両論あるらしい。確かに一見あまりに短絡的で、安易とすら受け取られかねない結末で、戸惑う読者も少なくないのではと思う。しかし、これはヘッセなりの誠実な一つの回答だったのではと私は考える。ヘッセはこれ以外の方法で彼の理想を伝えることはできなかったのではないか、と。この点は一人一人が読み、感じて、考えてみるしかないであろう。これはヘッセが我々に託した課題なのであるから。
作品の構成もかなり独創的なのだが、序文のみ難解なので、これだけ飛ばして一章から読み始めても差し支えない。
ヘッセの全人生のあらゆる要素・思想がステンドグラスの如くちりばめられた傑作である。
ヘルマン・ヘッセが10年の歳月をかけて書き上げた、最後の小説作品です。そして、日本では井出先生の「ガラス玉遊戯」と共に20年程絶版でした。
内容は説明自体が・・・難しいですね・・・。
「ヒトはどうあるべきか」をヘッセの考えで導いてくれます。と、言った所でしょうか。感想を言葉にしても伝わるものではない、と思います。読んでみて下さい。
でも、少しだけ(笑)。・・・西暦2400(?)程の未来、芸術と数学、そして瞑想を伴って行われる、究極芸術の「ガラス玉演戯」。
その「名人」(頂点)ヨーゼフ・クネヒトの「伝記」というスタイルを採っております。勿論それは、ヘッセ自身の思想を反映させていますが。
クネヒトの成長と共に、ヘッセの「ヒトは、どう在るべきか」という考えに、核心に近づいていきます。
それと、主人公クネヒトの名前、「しもべ」という意味です。
頂点に立つ者の名前が「しもべ」です。作品自体をある程度予感させますね。
ヘッセを「青春小説作家」と、お思いの方も多いと思いますが、色々なへッセ作品に触れるうちに、そうでは無い事を知るでしょう。(「荒野のおかみ」あたりから)実は精神世界に踏み込む作品が多く、ヘッセを難く考えてしまいがちですが、やはり、最後に求めるのは「ガラス玉演戯」になると思います。
文体も難く、難解に思えますが、ゆっくり読めば良い事です。そして、
少しずつ受け止め、受け入れる事が出来れば、それで良いと思います。
私自身、こ本に出会えた事は人生の中で、とても大きい出来事です。
この本は、ヒトの在り様を変えてしまう程のを持っています。
正に、ヘッセが紙に書き残した未来への遺産です。
そして、この本の序章とも言える「東方巡礼」も復刊させるべきだと思います。
・・・と、ロスハルデ(湖畔のアトリエ)の復刊も期待いたします。