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ガラス玉演戯

価格: ¥2,940
カテゴリ: 単行本
ブランド: ブッキング
Amazon.co.jpで確認
人生 ★★★★★
2010年1月12日現在、
復刊ドットコムにて、予約して手に入れることも可能なようです。(未確認ですが、、)

デミアンから入り、車輪の下、知と愛と多少前後しますが、
読み進んできましたが、このガラス玉演技だけは一度挫折して、
久しぶりに読み返してみました。
前半部分の抽象的な表現に惑わされました。
しかし、この部分のことは後から分かってきますので、少年時代が始まるあたりまで、読み飛ばして結構だと思います。
基本的に、この小説の舞台が、近未来で、戦争や物質が支配する時代がおわり、真理や精神を重んじる社会になり、そのピークを過ぎたころだとふまえたうえで、読んでいけば良いと思います。
「ガラス玉演技」自体が何なのかは、読み進めれば徐々になんとなく分かります。というか読み進まないとわかりません。

さて、僭越ながら感想を、、
僕にはこの本はヘッセからの人生の教科書のようなものだと思いました。

何のお手本もない人生への、
学生時代の友達に対する態度、先生との対話の仕方、精神の磨き方、人を使う姿勢、
人を教育する姿勢、人を愛するやりかた、愛されるやり方、人生の楽しみ方、死との向き合い方、
とてつもない苦しいことに負けないように心の主軸にするべき宗教ならぬ信仰、崇高なる精神、愛。


精神と現実の対立と分離 ★★★★★
ヘッセの代表作ともいえノーベル賞を獲得したらしいこの作品でしたが内容的にも思想的にも奥深く人生の中での理念形成において大きな示唆を与えてくれる作品かもしれません。ただその分言えることは内容が難解で読むのに時間がかかる・・集中して読みと通すにはかなりの精神力が必要です、まぁ個人的にはそれだけの精神力を費やす価値がこの作品にはあると思う、最後の結末の部分は賛否両論でしょうが、個人的にはヘッセはあの結末以外当時書けなかったのだと思います、もしヘッセが現在ガラス玉演技を書いたとしても同じ結末しか書けなかっただろうし、将来ヘッセがなにか他の結末が書けるような時代が来てほしいものです。まぁそれは物理学でいう大統一理論の完成よりはるかに難しくというか不可能なのかもしれないが・・・
ヘッセの精神現象学 ★★★★★
 ヘッセの長編小説はすべて著者自身の魂の遍歴、自分自身になろうとするその人生の旅路を描いたものであり、その長い旅路の到達点がヘッセ最後の長編小説である本書である。この小説の主人公は、もはや内面の嵐に突き動かされて社会から脱落することはない。瞑想の力によって社会的な秩序と内面の自由を調和させることができる。そして学問と芸術、論理と感性という対立するものを同時に表現し、調和させ、統一することを可能にする世界語、それが「ガラス玉演戯」であり、主人公はその最高位にまで上りつめる。だがこの「ガラス玉演戯」の神聖な世界に対立するものとしての「俗世」の存在が、主人公を更なる調和と統合に向かわせる。そして・・・。

 かつて自分自身になるための道を探してヘッセ文学に親しみ、今は社会の中で自分自身を見失いかけているかつての文学青年たちに読んで欲しい。きっとヘッセはもう一度あなたに「道」を示してくれるだろう。

ステンドグラスの如き、ヘッセの思想の集大成。 ★★★★★
ヘッセの生涯の総決算ともいえる最後の大作にしてノーベル文学賞受賞作。

ヘッセは第一次世界大戦のときも、またその後の1920年代以降も、ドイツの戦争への傾向に対し反戦の主張し続けてきたが、逆に「売国奴」と罵倒されるか無視されるばかりであった。次第に第二次世界大戦が近づき緊迫した空気の中で、ヘッセは小説家としてできる唯一のこととして、一つの小説を書き上げることに全力を尽くした。そして11年もの歳月をかけて創出したのが、この『ガラス玉演戯(Das Glasperlenspiel)』である。出版は1943年。この小説はヘッセが小説家としての使命を見定めた上での、現実へのコミットメントでもあるのだ。

学問と芸術の神髄である「精神(Geist)」を瞑想によって融合し、その究極の体現として音楽の如く「演奏する(spielen)」のが、この作品のタイトルにもなっている「ガラス玉演戯」というものである。主人公クネヒトはガラス玉演戯名人にまで登りつめるが、自ら志願して一人の若者ティトーの家庭教師となるに至る。

これは、「精神」への奉仕、ひいてはそれを受け継ぐべき次代の若者への教育の奉仕という、ヘッセの理想を描き出したものである。

クネヒトの最期のシーンは賛否両論あるらしい。確かに一見あまりに短絡的で、安易とすら受け取られかねない結末で、戸惑う読者も少なくないのではと思う。しかし、これはヘッセなりの誠実な一つの回答だったのではと私は考える。ヘッセはこれ以外の方法で彼の理想を伝えることはできなかったのではないか、と。この点は一人一人が読み、感じて、考えてみるしかないであろう。これはヘッセが我々に託した課題なのであるから。

作品の構成もかなり独創的なのだが、序文のみ難解なので、これだけ飛ばして一章から読み始めても差し支えない。
ヘッセの全人生のあらゆる要素・思想がステンドグラスの如くちりばめられた傑作である。

到達点、です。 ★★★★★
本当は星の数で表すことすら出来ません。この本が復刊された事に
心から感謝します。

ヘルマン・ヘッセが10年の歳月をかけて書き上げた、最後の小説作品です。そして、日本では井出先生の「ガラス玉遊戯」と共に20年程絶版でした。

内容は説明自体が・・・難しいですね・・・。

「ヒトはどうあるべきか」をヘッセの考えで導いてくれます。と、言った所でしょうか。感想を言葉にしても伝わるものではない、と思います。読んでみて下さい。

でも、少しだけ(笑)。・・・西暦2400(?)程の未来、芸術と数学、そして瞑想を伴って行われる、究極芸術の「ガラス玉演戯」。

その「名人」(頂点)ヨーゼフ・クネヒトの「伝記」というスタイルを採っております。勿論それは、ヘッセ自身の思想を反映させていますが。

クネヒトの成長と共に、ヘッセの「ヒトは、どう在るべきか」という考えに、核心に近づいていきます。
それと、主人公クネヒトの名前、「しもべ」という意味です。

頂点に立つ者の名前が「しもべ」です。作品自体をある程度予感させますね。

ヘッセを「青春小説作家」と、お思いの方も多いと思いますが、色々なへッセ作品に触れるうちに、そうでは無い事を知るでしょう。(「荒野のおかみ」あたりから)実は精神世界に踏み込む作品が多く、ヘッセを難く考えてしまいがちですが、やはり、最後に求めるのは「ガラス玉演戯」になると思います。

文体も難く、難解に思えますが、ゆっくり読めば良い事です。そして、
少しずつ受け止め、受け入れる事が出来れば、それで良いと思います。

私自身、こ本に出会えた事は人生の中で、とても大きい出来事です。
この本は、ヒトの在り様を変えてしまう程のを持っています。
正に、ヘッセが紙に書き残した未来への遺産です。

そして、この本の序章とも言える「東方巡礼」も復刊させるべきだと思います。
・・・と、ロスハルデ(湖畔のアトリエ)の復刊も期待いたします。