マネ絵画集(高画質版)
価格: ¥0
(マネについて)
マネは、西洋近代絵画史の冒頭を飾る画家の一人で、その意味でギュスターヴ・クールベと並び称されています。
マネは1860年代後半、後に「印象派」となる画家グループの中心的存在でした。しかし、マネ自身が印象派展には一度も参加していないことからも分かるように、マネは印象派とは常に一線を画していました。
マネは1832年、パリに生まれました。父は法務省の高級官僚でレジオンドヌール勲章も授与されており、母ウジェニーは外交官の娘でした。
美術好きの伯父の影響で、ルーブル美術館などで古典絵画作品に親しく接しますが、特にルイ・フィリップ国王がルーブル宮内に開設していた「スペイン絵画館」で、当時一般には余り知られていなかった17世紀スペイン絵画の真摯なリアリズムに触れ、決定的な影響を受けます。
1848年、海軍兵学校を受験しますが失敗、このため両親はマネの希望を受け入れ、17歳の時に本格的に画家を志すようになります。1850年に当時のアカデミスムの大家、トマ・クーチュールに弟子入り、1856年まで学びます。この6年間、マネは精力的に過去の巨匠たちの作品を模写、研究しました。
1859年、初めてサロン(官展)に出品した『アブサンを飲む男』が落選しますが、審査員を務めたドラクロワや、詩人のボードレールからは高く評価され、自信を得ます。
1861年、「スペインの歌手」と「オーギュスト・マネ夫妻の肖像」をサロンに出品し、2作とも初入選します。マネの画風は、ベラスケスを始めとするスペイン絵画やヴェネツィア派、17世紀のフランドル・オランダ絵画の影響を受けていますが、明快な色彩、立体感や遠近感の表現を抑えた平面的な処理などは、近代絵画の到来を告げるものです。
1863年の落選展に出品した「草上の昼食」は物議をかもし、2年後の1865年のサロンに展示された「オランピア」は、さらに大きなスキャンダルとなりました。
1870年代以降は、自らが示唆を与えた印象主義から逆に影響を受け、戸外での制作を積極的に行い、作風も印象派に特有の素早い筆致が目立つようになりますが、印象派展には一度も参加せず、あくまでも印象派とは一定の距離を置き続けました。
1878年から体調が不安定になり、1880年代に入ると左足が壊疽にかかり歩行困難となります。1882年、晩年の代表作である『フォリー・ベルジェールのバー』をサロンに出品しました。翌1883年に左足を切断しましたが、同年4月30日に死去しました。
(この本について)
この本には、マネの傑作絵画をほぼ年代順に高画質で収録しています。それぞれの絵の詳細を以下のように記しました。
また重要な絵画には説明を付けてあります。
1863-1 草上の昼食
作品名(独語) Das Frühstück im Grünen
制作年代 1863年
技法 油彩
寸法 208 × 264 cm
所蔵 オルセー美術館(パリ)
(アートクラシックスについて)
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1、見やすいレイアウト
適切な改ページで区切って、Kindleはもちろん、iPhoneやAndroidなどのスマートフォン、iPadなどのタブレットでの鑑賞に最適化しました。また、絵画の一つ一つに索引を付けましたので、目次から直接アクセスできます。
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4、スピーディーな改版
紙の本と違い、誤植の修正や改訂などすぐに対応でき、刻々と進化を続けます。