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貨幣論 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥882
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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資本主義の危機を予言した名著 ★★★★★
 貨幣と哲学。一見無関係のようにも思われる両者だが、決してそうではないことを本書によって思い知らされた。
 貨幣とは何か。その起源がそもそもはっきりしないことを明示した上で、岩井はまず貨幣そのものには価値がないことを確認する。確かに貨幣をいくら貯め込んだところで、使わないことには意味がない。貨幣は使うことによって、すなわち交換することによって初めて価値を付与される。ではなぜ何の価値もないはずの貨幣が交換されるのか? なぜわれわれは何の価値もない貨幣を受け取るのか?
 岩井は答える。われわれが貨幣を受け取るのは、将来それを(商品と引き換えに)受け取ってくれる他者が必ずあらわれるはずだと信じているからだ。すなわち貨幣の根拠は未来への信憑にある。逆に言えば未来への信憑にしかない。しかしその信憑はそれほど絶対的なものだろうか。
 商品には価値があり、貨幣には価値がない。貨幣の価値は、商品と交換できるという限りにおいての、いわばヴァーチャルな価値でしかない。そのことに人々が気づき、貨幣を捨て商品を取るという選択がいっせいになされたならば、すなわち貨幣信仰が崩壊し、貨幣の価値が限りなくゼロに近づいたとき、いかなる事態を招来するだろうか。
 世界的な不景気が叫ばれて久しい。しかしだれもがお金を使おうとしない現状は、貨幣信仰が安泰であること以外の何物でもない。本当にこわいのはその逆のケースなのだと岩井は説く。「貨幣と商品の関係は言語と事物の関係にほぼ等しい」というあとがきを含め、哲学的刺激に満ちた貨幣論の名著である。
貨幣は無限の循環において価値を持つ ★★★★☆
貨幣とは何か、を延々考察した本。

貨幣は、それ自体には価値がない(特に電子マネーとか)にもかかわらず、他との交換性という性質により圧倒的な価値を獲得する。
それは「無」から「有」の発生であり、「奇跡」である。

貨幣そのものの市場は(仮想的には存在するが)現実には存在しない。
だから、貨幣そのものへの需要が高まると、他の全商品の市場で値が次々と下がっていく恐慌に陥る。
マルクスはこれこそが資本主義の危機だとした。

だが本当の危機は違う。
貨幣のその交換性(流動性)は、他の人が貨幣を受け取ってくれるという信頼のもとに成り立っている。
だから貨幣経済にとっての真の危機は、誰も貨幣を受け取ってくれないハイパーインフレの方なのだ。


なお、筆者は貨幣制度説と貨幣商品説をともに退けているが、これは個人的には「貨幣がどう生まれたか」と「貨幣がどういう意味をもつか」とは別という観点から理解している。
そういう点からは前半が多少冗長に感じもするのだが。
貨幣の神秘に迫る大作 ★★★★★
『資本論』の読解を通じて貨幣の本質へと迫る岩井先生の力作。内容もさることながら、やはり独特の文体で岩井ワールドへと引き込むその魅力は圧倒的。下の文章を眺めていたら、初めて本書を手にした学部生当時の感動が思わず蘇ってきました。

それ自体はなんの商品的な価値をもっていないこれらのモノが、世にあるすべての商品と直接に交換可能であることによって価値をもつことになる。ものの数にもはいらないモノが、貨幣として流通することによって、モノを越える価値をもってしまうのである。無から有がうまれているのである。
ここに「神秘」がある。(文庫版73ページより)
100円でポテトチップスは買えるが・・・ ★★☆☆☆
本書の<貨幣論>そのものについては、降旗節雄『貨幣の謎を解く』に簡明、直截な粉砕的批判がある。
「100円でカルビーのポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません」という、むかしむかし、藤谷美和子が人気絶頂だった頃のテレビCMのキャッチフレーズの正しさがわかれば、岩井貨幣論は間違っていることがわかろう、というものだ。
岩井貨幣論を巡っては議論百出だったが、結局、降旗の解説が最も納得できる。

藤谷美和子はどうしているのだろうか? 岩井克人の名前を見るたびに、そんなことを思い出すのだ。
優等生の一夜漬け ★☆☆☆☆
 著者の貨幣論の成否はともかく(不換紙幣しか説明できないのでわたしは否だと思う)、感想はタイトル通りです。大体マルクスを手がかりにしているくせに、どうもマルクスのことよく知らないみたいです。知ってたら、価値法則が超歴史的なもの、なんてこと書くわけ無いもの。ちなみに引用してある手紙の中の「法則」って価値法則のことじゃないからね。あとビックリしたのが「「貨幣は商品である」という労働価値説の命題……」なんて書いてあるところ。そりゃあ、貨幣商品説でしょうが。文章の流れからいって単純な書き間違えではない)それが本当だったら、カール・メンガーも労働価値説論者ってことになって、新古典派とマルクス派の区別がつかなくなっちゃうよ。という風に一事が万事、著者のマルクス批判は相当トンチンカンなモノになってますな。労働価値説の批判しかしないし。
 肝心の「貨幣論」の論証も貨幣商品説と貨幣法制説の攻撃ばっかりで、自説の根拠は「奇跡」なんて平気で書いちゃうんだから困ってしまいます。その攻撃もかなり怪しいところがあって、pecuという古語の語源を最初は「動産」といっておきながら次には「貨幣」と言い換え(すり替え?)たりしています。あと、鋳貨が摩耗するから、と貨幣商品説を攻撃しているけれど、摩耗を誤差の範囲におさめるために国(中央銀行)が回収して鋳直すんじゃないかなぁ? 著者の言う通りだと1ポンド金貨(1/4オンス)が1/32オンスに摩耗しても流通するってことになっちゃうけど、そんなことありえないでしょ? 著者は説明できるのかなぁ?