らしくない!
★★★☆☆
確かに、独特の文化を持った沖縄が無味乾燥した東京文化に染まっていくのは悲しいし、巨額な補助金が沖縄の産業育成を阻んでいるのは嘆かわしい。
しかしだ。こうした事実はもう既に幾度となく指摘されているのである。もっと言えば、地域文化・伝統の喪失と公共事業依存は日本のいたるところで起こっているのだ。にもかかわらず、この本を手にとったのは、この本を書いたのが「ナツコ」「ねじれた絆」の著者であったからだ。しかし、非常にらしくない本だ。期待はずれといってもいい。
著者は長年の沖縄取材で、人脈も広く、ウチナンチュの心をよく知っているはずなのだから、沖縄を憂うとしても、単に行政を批判するだけではなく、オバアをはじめとするウチナンチュの自己欺瞞や嘆き、葛藤をもっと書けるはずだ。
ウチナンチュだって葛藤しているはずだ。ヤマトンチュが沖縄にノスタルジーを求めるのは勝手だけど、ウチナンチュだって豊かになりたいだろう。シュプレヒコールとは裏腹に基地依存が高まっている現実には社会としての葛藤もあろう。
行政がよくないのは百も承知だ。それでも、「沖縄の自然を食い荒らす者たち」「補助金は沖縄に何をもたらしたか」というような、沖縄の被害者としての側面だけを強く意識すること自体が、問題の本質から逸れている気がするのだ。
うちなーんちゅ(沖縄人)よ、熟読せよ。
★★★★★
初めてレビューを書きます。
というか、書かずにはいられなくて書きます。
内容に関しては既に記載下さっているので、強烈に感じていることを書きます。
この本はうちなーんちゅ全員が読むべきです。
もう、いい加減てーげーやなーなー、分らんさー はちょっと置いときましょう。
もちろん、やるなとか失くせということではなく、まずこの本を熟読して下さい。
戦後の沖縄の歩みがこの一冊だけでソッコーで分ります。何も勉強とか難しい資料とか、読み直す必要はありません。
読み終えたとき、こんなことになっていたのかと立ち直れない程、打ちのめされます。
しかしもう過去は変えられません。これがわしたしまうちなーが歩んできた路です…。
未来は変えられるじゃないか と希望をもってしてもかなり難しいように思えます。そう思わせる理由も分ってしまいます。
この本のタイトル「沖縄幻想」の名の通り、私達うちなーんちゅの「わしたしまうちなー」は既に「幻想」です。
これが事実であり、何となくこのままでいいのかな〜とか、どーにかなるんじゃないとか、みんなないちゃーがかっさらっていったさーとか、もう何もかも受け入れざるを得ない程、何か自分を責めるような気持ちに苛まれます。
自分が今から県知事とか政治家になって、著者の奥野さんと何か出来る事はないかとどれだけ思うことになるでしょう。
うちなーんちゅ皆がそれぐらい思えるようになれば、少しは何か取り戻せるモノがあるかもしれません。いや、そうあるべきです。本当に他人事じゃない…。
沖縄の産業は、観光産業しかない、全てが観光ありき。この事をまず洗脳される位に心に刷り込まねばならない。それが結果的に、先祖代々から大事に継承されてきた大切な物・心を守る事に繋がり、何代にも長期に渡って利子を生み出す程の財産となり、うちなーんちゅのアイデンティティや血肉となり、うちなーんちゅが真のうちなーちゅとなって、光を放つとき、それを観に来る人達で一杯になる。
内地の人が沖縄観光を支える事態で本当にいいのか?
何も無い沖縄が良くて、これを観に来ているのが観光客なのに、あれもこれも造って内地に追い付け・追い越せ的な…。これが沖縄が求めた姿だったのか…。
もう、無関心や無関係とは言わせません。
何でって、わしたしまうちなーの事だから。
ホントにこの本読んで何とかしようよ、うちなーの皆さん!
ウチナーンチュもヤマトーンチュも目を覚ませ!
★★★★★
本書では「沖縄」に関する二つの「幻想」が、厳しく批判されている。その一つは、「癒しの島・南の楽園」という、本土が沖縄に抱く幻想であり、もう一つは、その幻想に自ら踊る沖縄が、本土に向けて抱く「本土並み」という幻想である。
しかしその批判が俗悪な週刊誌や知ったかぶりのテレビニュース番組などの“告発”記事と異なるのは、その根本に沖縄への愛が満ちているからだろう。沖縄が憎くて批判するのではない。ましてや、批判記事で衆目を集めようというのでもない。愛する沖縄の未来に対する矢も盾もたまらぬ思いが、著者を動かしているのだと思う。
そしてその、沖縄を巡る二つの幻想に対する批判はやがて、読者の中で、常に「沖縄」に対比される存在として現れる「日本」に対する批判へと繋がっていく。書名こそ「沖縄幻想」というこの本を通じて最も厳しく批判されているのは、実は何よりも、現在の我々が住む「日本」という国のあり方なのだ。
公共工事への依存。拝金主義。自然と文化の破壊。土建国家・日本の一番醜い部分が、今、「癒しの島・南の楽園」という仮面の下に隠れて、美しい沖縄の魂を蝕んでいる。
誇り高きウチナーンチュよ!今ならまだ間に合う。引き返せ。本当に守るべきもの、次の世代に残すべき、価値あるものを見つめ直せ。愚かな我々、ヤマトーンチュの後を追ってはいけない。
著者と同じく沖縄を愛するお節介なヤマトーンチュの一人として、私はそんなことを考えた。
おそらく序の口
★★★★★
手厳しい沖縄論評に感じるかもしれませんが、おそらく愛情あるがゆえに、これでも手心が加えられているのでしょう。経済成長によって、日本人らしさが加速度的に失われていったように、ワンテンポ遅れて沖縄人らしさが、同じ運命を辿っています。
本書では触れられていませんが、子供の肥満率、非行率、養護施設入所率は、全国でもトップクラスで、いずれも拝金主義の一断面です。大人の性の乱れ、というか女性が生きていくための売春も相当深刻です。
本書は、今まで誰も見ぬふりをしていた沖縄の現実を鋭く描写しています。これぐらいやらなければ、拝金主義に陥っているウチナーンチュを目覚めさせることはできないかもしれません。いや、著者には更に一歩踏み込んで、沖縄の現実を描写してもらうことを期待したい。沖縄ではどの書店でも本書が目立つ所に置かれていることを考えると、沖縄人には不快感を与えていないどころか、待望の書だったような気がします。
沖縄への愛が感じられる1冊。ただの「嘆き節」ではない
★★★★★
沖縄ブームである。定年を迎え、沖縄に移住する人、休みのたびに沖縄に行く人……
目的は「癒し」だろう。たしかにゴミゴミした都会に比べ沖縄は大らかで自然が残り
心が癒される…かもしれない。
しかし美しい自然も、1カ月も見ていれば飽きる。
移住者が次々と都会に戻ってきているのも、下水道などのインフラができてないという
「現実」に突き当たるためだ。
私は10数年前に沖縄(八重山諸島)に行った。その後何度か行っているが、
ここ数年で大きく変わった。まず「便利」になった。
そして露骨に「観光」を前面に押し出すようになった。
ほとんど人の行かない島だった与那国島は「ドクターコトー」効果で
リゾートホテルまで建った。
西表島の「陸の孤島」船浮にも定期船が出ている。
著者は、単にこうした観光化を憂いているのではない。
無秩序な開発と観光化が、沖縄の特長を消し去ってることを嘆く。
「このまま東京の近郊都市のようになるのか」――と。
「便利になることは悪くない。しかしそれで沖縄は自立できるのか」――。
私は沖縄に幻想を見ているのかもしれない。あるいは「旅の人」の勝手な思い込みかもしれない。
またしてもヤマトンチュウはと蔑まれるかもしれない。
しかし笑わば笑えである。私は言わずにはいられないのだ。(はじめに より)
沖縄に通い続けてきた大宅賞作家の「思い」がほとばしる1冊である。