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恥ずかしながら本書を読んで、ヴェトナムが、日本同様に禅宗の盛んな国だった、ということを初めて知った。著者は長年欧米で活動していて、本物の禅を西側の視点から現代的に語るすべを知り尽くしていると感じた。日本人の禅匠の手になる著書と違って、非常にスマートで、禅臭さがなく、読みやすい。しかも禅の公案の意義、坐禅とさとりの関係、唯識学説によるさとりの分析(ちょっと難しいです)などなど、現代人が禅を理解するために欠かせないことでありながら、日本人の禅匠が書かなかった多くの情報を含んでいる。
残念ながら、坐禅の実践の部分に関してはあまり詳しくない。坐禅は禅匠について学ぶものだから、実践はそちらにお任せということか。でもお師さんの前で本書の知識を開陳しようものなら一喝されるのがオチだろう。
もし一人で坐禅をするのであれば大森曹玄老師の『参禅入門』などを併読する必要があるだろう。