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信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う (新書y)

価格: ¥1
カテゴリ: 新書
ブランド: 洋泉社
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謀略説を冷静に論破 ★★★★☆
当時の新たな歴史資料を探し出すことが殆ど不可能であることにつけこんで、
様々な憶測によって面白おかしく「本能寺の変の謀略説」が世を賑わせているが、
著者は冷静に現在世に出ている資料を検証してでもできる常識的な思考に基づいて
その荒唐無稽さを鋭く論破している。

歴史的な事実を語る時に、ノンフィクションとフィクションは
明確に区別されなくてはいけないはずで、
著者の「冷静に考えればあり得ない」という指摘は歴史の原則である。
着想は自由だが、根拠がなく容易に否定されるような内容であればそれは妄想に近い。
本能寺の変について読んでおくべき本 ★★★★★
タイトルにある通り、本能寺の変の謀略説(光秀以外の犯人説)を列挙し、それらの論理的な弱さを明示していきます。史料が十分に揃っていないもの、史料はあるけれども誤読であるものなどを指摘し、謀略説に見られる共通の弱点を挙げており、納得のいく内容です。
謀略説を信じる人は、読んでいて余り気分が良くないかもしれません。本文でも示されている通り、著者は謀略説の作者そのものを否定してはいませんが、かなりきつい論調で次々と説を否定しています。ただ、これには理由があり、著者はこれらの謀略説がはびこることに懸念しているようです(同著者による「偽書・武功夜話の研究」も同じ)。
一歴史ファンからすると、確かに謀略説のどれもが、ある意味面白く、そんな可能性もあるかなと思わせるものではありますが、「常識的判断」に則ったらどれも眉唾であるということがよく解ります。結局、謀略説はいずれも推測の域を脱しきれないままです。
また、謀略説を信じない人は、この本で一度「本能寺の変」の諸説を確認するのが良いでしょう。
個人的には「イエズス会説」は面白かったです。
謀略説を信じるにせよ読むべき書 ★★★★★
 信長は謀略で殺されたとの書が最近多いが、本書はそうした
謀略史観を各個撃破していく書である。

 一番新手のイエズス会黒幕説のみならず、各種のバリエーショ
ンについて、明快な論理で始末をつけていくのが小気味よい。

 とはいうものの、意外な事件に何か裏の理由を見ようとするの
は人間の性。本書がいくら道を正そうとしても、謀略史観が消え
てなくなることはないだろう。残念である。

 謀略説を信じるにせよ、とにかくご一読あれ。
同じ穴の狢 ★★☆☆☆
本書が指摘するように、謀略説のほとんどは、
立花京子氏に代表されるように資料の解釈の仕方が意図的で、
「最初に結論ありき」だと感じる。
また、資料の取り上げ方が恣意的で、
自説にとって都合のよい資料ばかりを取り上げ、
都合の悪い資料を無視する傾向がある、というのも頷ける。
このような本書の指摘については、異論は無い。

しかし、本書も同じ過ちを犯していると感じる。
本書は
「徳川信康は、信長の指示によって処刑されたのではなく、
家康の判断によって自害させられた」
「家康は信康粛清について信長の了承を得ただけ」
と「断定」しているが、この論拠は作家の一人がそのように言っている、
というだけのもので、証拠となる資料の提示や検証は一切行っていない。

著者は、本書の論点は「信長謀殺説の真偽」であるから、
信康自害の真相については深く論議する必要は無いと思ったのかもしれないが、
通説と異なる説を真実であるかのように断定するからには、
その論拠の提示は必要だと思う。

本書は「謀殺説」を批判するに当たって、
その資料の取り上げ方や検証の仕方を批判しているのだから、
「謀殺説」と同じ轍を踏んでいることになる。

他のレビューでは賞賛する声が多いようだが、
「他者を批判する説」を無批判に受け入れてしまう、
ということの危うさを感じる。

理論的に相手を論破しなければならないところを、
自己矛盾を抱えた内容になってしまっているので、星ふたつ。
古文書解読の難しさ、歴史=ミステリー ということが良く分ります。 ★★★☆☆
議論百出の本能寺の変の謎。著者は、極力公平な視点に立とうとしながら様々な議論に寸評を与えている点は評価出来ます。また、信長に関するイメージが出来上がるまでの経緯や、各々の歴史学者の所見、最近では「信長の棺」に見られる作家の見立てなんかにもコメントが記してあって、色々な書物を読んだ信長ファン、歴史ファンにとって良いレビュー書になるのではないでしょうか。
 
ただ……、結局はこの著者の主張が正しいとも限らないな、というのが正直な感想です。著者は、公平たらんとして信頼に足る古文書の内容に立脚して「光秀単独犯説」を主張されておられます。ここがポイントで、古文書に立脚すればするほど、現存する古文書の数や、信頼性、その解釈に全て依存してしまうな、ということが再認識させられました(当たり前ですが)。従って、著者の解釈が必ずしも一番真っ当で正しいかは、読者には分からない訳で(上記の通り、著名な大学の歴史学者でさえ様々な解釈をしている訳ですから)、例えば今後新しい古文書なんかが発見されれば事実はあっさりひっくり返ることも十分ある訳です。また、この本の見解に反論の本が今後出るのかもしれません。
 
従って、現存する古文書など証拠になりそうなものを著者が極力自然に解釈すると光秀単独犯説となる、ということであって、「まぁ、そうだろうな」と思いつつも、私にとっては返って謎が深まった感じです。無いものねだりですが、事の真相を明らかにするような新たな古文書等の大発見を願ってやみません。あるいは、当時を実際に見に行けるタイムマシンが発明されるなど(笑)。