【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:勢古浩爾/著 出版社名:三五館 発行年月:2007年03月 関連キーワード:メ ニ アマル エイゴ バカ め に あまる えいご ばか、 サンゴカン サンゴカン 2966 さんごかん さんごかん 2966、 サンゴカン サンゴカン 2966 さんごかん さんごかん 2966 英語なんかほんとうは必要でもなんでもないのに-「バカ」論の権威・勢古浩爾による痛快書き下ろし。 第1章 なんで英語したいの?第2章 かくも素晴らしき英語バカの世界第3章 早期英語教育亡者の謎を解く第4章 本を読んで英語ができるなら苦労はない第5章 「日本人は英語が下手」の真相第6章 英語とどうつきあうか?第7章 ヘラヘラ日本文化
思考停止の団塊世代の駄本
★☆☆☆☆
著者は御自身で仰るように英語力は大したレベルではない。
にもかかわらず、例え無目的にでも英語を勉強し努力する者をバカと断定することはあり得るのか。
それが何よりも説得力を欠く。
せめて英語をマスターしてみて初めて悟ることではないか。
中途半端で挫折をし、挫折した自分を正当化していると思われても仕方ない。
明確な目的が無いとは言え、今の日本の情勢で英語を身につけることは可能性が広がるのは間違いない。
むしろ普通に考えれば英語が出来ないと置いていかれる可能性は高い。
日本経済が縮小しグローバル経済が加速する中で、
英語無しで今の世界的に高い賃金を維持することが可能だと思っているのか。
著者の頭の中は高度経済成長で止まっているのではないか。
世の中の情勢を全く理解していない、決まった仕事をすれば金は貰えると考えている典型的な思考停止の団塊世代人である。
自分のビジネスで後世に残る成果を残した立派な団塊世代の先輩方は沢山いる。
比べて何の成果を残した訳でもなくビジネスを引退し、
頑張る者をバカ呼ばわりし自己正当化する著者はあまりに情けなさすぎるではないか。
面白いことは面白い
★★☆☆☆
軽い文章で、寝転んで読むにはいいのではないでしょうか。
しかし個人の狭い経験を基にした話が多いので、あまり得るものは無いかと思います。
これはひどい。読むに堪えない「バカ」な書だ。
★☆☆☆☆
勢古氏の著書「定年後のリアル」を図書館で見かけ、そのひどさ故に逆に興味が湧き、本書を「図書館」で借りた。果たして期待を裏切らない程に大変ひどい書であった。著者は1947年(昭和22年)生れというから団塊の世代の1期生であり、その悪さを凝縮したような著作が多い。「まれに見るバカ」という著書は更にどうしようもなく、最初の「まえがき」数頁を読んで止めた。どれもこれも読むに堪えないのだ。本当はブックレビューなど書く価値もないのだが、称賛する読者もいるかと思うと情けなく已むなく投稿した次第だ。著者は英語について語る資格も水準にもないことがまず問題だ。著者の学生時代に欧州でヒッチハイクで生き延びる程度の英語学習で、後も米国を除く出張で何とか仕事をした程度の由。そして英語の出来が悪い多くの日本人に対して、英語なんか話せる必要はない、話せる人への嫉妬を、天の邪鬼的に唯我独尊の持論を羅列しているのみ。かつ他人の著作の一部を掲載して辻褄を合せるのみだ。日本人には英語は必要だし、いつまでも英語音痴では済まされない。世界で最も英語の下手な国民である日本人、これは国外に出れば明らかに実感する。驚くのはオランダやスェーデンではどんな人でも外国語の英語を流暢に話す。著者は、日本人であることで英語下手の免罪符が正当化されると思っており、「勉強しない」「英語が出来ない」日本人を誤って安心させる。最後に勢古氏自身も英語下手を忘れるよう布団を被って部屋の隅からゴタクを並べているようだ。こんな書を出して何の意味があるのか。読者は何を喜んでいるのだろうか。
無目的に英語を勉強している人にとっては一読の価値あり
★★★★☆
著者の言いたいことは、
(1) ただなんとなく「英語ができるとカッコいい」と思い勉強しているバカが多い。それは、西洋人に対するコンプレックスのあらわれ。
(2) 日本人が英語ができないのは、必要がないからに過ぎない。
(3) 文科省が進める「小学校から英語学習」は意味がなく、弊害が多い。英語が必要な日本人は一部なのに、子ども全員におしなべて英語を押し付ける必要はない。
(4) 巷には、「聞き流すだけで・・・・」というような英会話教材が多いが、そんなもので英語ができるようになるはずがない。また、無目的に英会話スクールに行っても英語力はつかない。
(5) 「中学校から大学まで10年間も英語を勉強したのに英語ができない」というのはウソ。そういう人は、実質的にどれだけ勉強したのか。できないのは勉強量が足りないだけ。
(6) 英語ができるようになるためには、NHKのラジオ教材をきちんと続けることで十分。ただし、勉強時間はかける必要がある。
→毎日1時間を3年間、または3時間を1年間、または6時間を半年間、は必要。
ということだと思います。
言っていることはいずれも正論だと思います。
ただ、特に本書の前半は無意味な部分が多い。また、全体に下品・冗長な表現が山のように出てきます。
こういう表現をおもしろいと感じるか、下品と感じるかは人それぞれでしょうが、私は、「もう、ええで・・・。つきあってられんわ」と感じました。
なので、買う前に、軽く目を通してから買うほうがいいと思います。
胸はすくが……
★★★★☆
著者の口は悪いが、ほとんど私の思いと一致するし、本質は正論であると思う。だが日本人が、それも特に英語が実質的に不要な日本人が、英語に病的にとらわれている情況、すなわち英語コンプレックスは、本書が単発で指摘・批判しても容易には変えがたいくらい根が深い。残念ながら批判はあたかも大海に墨汁を一滴たらすような効果しかない。
英語はいまや一大産業であり、消費者が愚かでありつづける限り、この「搾取」のビジネスモデルとして「うまくできた」英語産業に迎合し商売したほうが、本書のような批判本を書くよりもよほど稼げるという事情がある。必要がなくても英語ができるとカッコイイという認識はこうして売り手買い手の共犯関係の下で拡大再生産されつづける。
こうした情況を根本的に変えてしまうには何が必要なのだろう、といつもため息をつきたくなる。本書のように真正面から抗い続ける方法も時には必要だが、まず、英語が特に価値的に優れているわけではないという認識へと自分の頭で考えて到着する道筋を、愚かな人々に示し続けていったり、また、英語より価値のあるものを示すことで、英語に不当に肉付けされている価値を相対的に引きずりおろすといった戦略で、「外堀」から崩していく必要があるような気がする。