ゲームシナリオ作法
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この本は、RPGコンピュータ・ゲームのシナリオを書こうとする人に、どのように頭の中を動かしたらよいシナリオが書けようになるか、お話しようとするものです。
コンピュータ・ゲームには、無数の種類があります。
「テトリス」「ぷよぷよ」など落ちゲー。
「インベーダー」「ゼビウス」などのシューティング・ゲーム。
「鉄拳」「バーチャ・ファイター」など、対戦格闘ゲーム。
テニス、野球、サッカー、カーレースなどのスポーツ・ゲーム。
お絵かき、作曲、ゲームつくりなどのツール・ゲーム。
囲碁、将棋、麻雀、花札、トランプなどの室内ゲーム。
パチンコ、競馬、ルーレットなどのギャンブル・ゲーム。
自分が為政者や実業家や将軍になって、国や自治体や大企業や大戦争を指導するシミュレーションゲーム(SLG)。
「マリオ」や「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」などで知られる、アスレチック感覚のアクション・ゲーム 、推理や説得を中心とするミステリー感覚のアドベンチャー・ゲームもあります。「弟切草」「かまいたちの夜」などのサウンド・ノベルや、美少女との交際をたのしむギャルゲー、アクション性の強い「バイオ・ハザード」、ムードを主体とした「ミスト」、などもこのジャンルに入るでしょう。
しかし、これら多種多様な「ゲーム」の中でも何といっても重要な分野を占めるのは、「ドラゴンクエスト」「ファイナル・ファンタジー」などを典型とするロール・プレイング・ゲーム、いわゆるRPGでしょう。
このゲームは、その名の通り、ゲーマーが一つの仮想世界の中で、ある人物の役を演じ、闘うことを基本にして成立します。
そこには、明白な悪の意志があり、それに決然と対抗する正義の主人公があります。
異境への旅、予想外の危機、深まる謎、絶世の美姫、強力なモンスターなどによって、ハラハラ、ドキドキのドラマが生まれ、シミュレーション・ゲームやアクション・ゲームよりもさらに一歩を踏み込んだ、波瀾万丈のストーリーが展開します。
これは、1970年代アメリカで始まった「テーブル・トーク」と呼ばれるサロン・ゲームをコンピュータ化したもので、物語の面白さと対戦ゲームのスリルをうまく組み合わせたその魅力によって、数々の圧倒的なヒット作を生み出していることはよく知られています。
実をいえば、「ゲーム・シナリオ」という時、著者が主として考えているのはこのRPGなのです。
どんな単純なゲームでも、たとえば「落ちゲー」でも「室内ゲーム」でも、ストーリー性はあるものです。「対戦格闘ゲーム」にしても、各ファイターの性格や特技を考える上で、シナリオ的発想はどうしても必要です。
著者は、ストーリー性という点で、RPGゲームを、コンピュータ・ゲームの頂点に立つものと考えています。
RPGゲームをよく勉強し、そのシナリオの技術や方法を学んで置けば、それは、アドベンチャー・ゲーム、アクション・ゲームはもとよりのこと、シミュレーション・ゲーム、その他のゲームにも、容易に拡張、適用することができるのではないでしょうか?
著者は元来、映画畑の出身です。
映画の企画・製作、特にシナリオと演出の分野に、40年以上も携わって来ました。
長年撮影所に蓄積された、ストーリー作り、シナリオ創作のノウハウを、コンピュータ・ゲームの世界に伝えることはできないか?
それが著者のひそかな願いなのです。
RPGとは、元来ドラマであり、何らかの形の対戦ゲームをドラマの骨格の上に配置したもの、というのが著者の考えです。
ドラマは普通、複数の「ヤマ(クライマックス)」で成り立っています。ヤマとは、「善」と「悪」とが真っ向から衝突(対戦)し、新しい局面を生み出す場面です。
シナリオにおけるこのヤマこそ、ゲームのポイントに他なりません。
ゲームの主人公、つまりゲーマーは、このポイントで「対戦」を繰り返しながら、彼の夢や愛を実現して行きます。
RPGは、人間のドラマの媒体として、大きな可能性をもっているのです。
コンピュータには、映画には真似の出来ない一つの機能があります。
ゲーマーが主人公となり、自分の行動を自由に選択して行ける、いわゆるインタラクティヴ(相互作用)性です。
ゲーマーは、主人公の性格を自分自身で創り出し、演じることができるのです。
選択肢を無数に作れば、無数のマルチストーリーを作ることもできます。
コンピュータ・ゲームの場合、シナリオ・ライターは、途方もない労働量を覚悟しなければならないかも知れません。
場合によってそれは何本、何十本分ものシナリオに相当するからです。
ゲームのデザイナーは、芸術家としてのホットな心で、無数の行動の可能性を考え、そして、技術者としてのクールな心で、すべてを適切に配置して行かなければなりません。
ストーリーとは何か?ドラマとは何か?構成とは?テーマとは?分岐とは?
こういったことを、ソフトの専門家として、はっきりとわきまえ、それらを実現する技術に習熟していなければならないでしょう。
RPGゲームは、ひと頃の「作れば売れる」時代から、ようやく「良くなければ売れない」時代に入って来たようです。
とにかく「殺せばよい」「倒せば満足」という単細胞の時代は過ぎ、次第に人間的な価値と独創性の高さが求められつつあるようです。
映画は、かって「のぞきからくり」の見世物として生まれ、不良のたまり場とされた活動写真小屋に育ち、やがてすぐれたドラマの媒体として、芸術的文化財となる道を歩んで来ました。
コンピュータ・ゲームもまた、子供相手の単なる電子おもちゃから、豊かな人間的価値を実現するメディアとして育って行かなければならないのではないでしょうか?
逆にいえば、コンピュータ・ゲームが、特にRPGゲームが、さらに生き延び、発展する道は、それ以外ないのではないでしょうか?
コンピュータは、ハード先行、技術優先の形で、秒進分歩の発展を遂げて来ました。
ソフトは常に遅れてそのあとを追い、そのコンテンツは、しばしば技術者自身の手によって作られて来ました。
ゲーム・ソフトも、技術やシステムの水準はとにかく、明らかにヒット作の物まねでしかないもの、全くマスターベーションでしかない支離滅裂な作品などを見る時、そこに、ハードを縦横に使いこなして、ユニークなストーリーを展開し、オリジナルなテーマをアピールする、専門「作家」の不在を痛感せざるを得ません。
RPGの映像には、最先端のコンピュータ技術が投入されます。
しかし、RPGのストーリーには、果たして最先端の知恵と技術が投入されているのでしょうか?
シナリオは、コンテンツの核心、ソフト中のソフトです。
ソフトなシナリオ作者を、柔軟に寛容に活用するハード技術者はいないのでしょうか?
逆に、ハードの技術者と対等にコミュニケートして、貪欲に独創的な物語世界を実現しようとするソフト・コンテンツの才能はいないのでしょうか?
これは「シリコン・バレーとハリウッドとの結婚」として、アメリカでもしばしば耳にするテーマです。
ハイテク・メディアにおける作家性の確立。
実はこの本は、この大きなテーマを目指して書かれています。
それには、まだまだ長い時間と多くの忍耐を必要とするでしょう。
そして、これこそ、これからの若い力の活躍の主舞台なのです。
これは、ゲーム業界を目指し、また支える多くの若い人たちのための本です。
そして、コンピュータのハードサイドの多くの人々に、ストーリーとは何か?それを創るにはどんな技術と方法があるか?など、ソフトサイドを理解していただくための本です。
すでに壮年期をすぎた映画の知恵と技術の蓄積を、輝かしい青年期を迎えるコンピュータ・ゲームの世界に生かして頂くことができるなら、著者のこれ以上の喜びはありません。