私にとっての傑作
★★★★★
「今夜は焼肉だゾ!」と言いながら
嬉々として豚コマ肉を焼き始める両親。
「ヤッター!」と歓声を上げる俺ら曳地康兄弟。
親父は、ねじりハチマキみたいに頭に
タオルを巻いてビールをうまそうに飲み、
母ちゃんはそんな家族をほほえましく見てる。
そしてそれが普通だとおもってた俺ら曳地康兄弟。
親父は病気で亡くなり、母ちゃんはよその
男と再婚して家を出た。弟もデキ婚で家を出、
残された俺曳地康は、ひとり家で豚コマの焼肉を食う。
なぜだかとてもかなしい気分になった。
そんな思い出がふと浮かびました
涙が出ます
この本は本当に感動するよ
( ;∀;) カンドーシタ
素朴な小林多喜二の母が語る政治や宗教を超えた訴え
★★★★★
小林多喜二の母セキが、その生涯を多喜二の恋愛と死を中心に語る小説です。教育も受けられず、漢字も読めなかった88歳のセキが、秋田弁で読者に思い出話を聞かせるスタイルですので、読みやすく数日で読破可能です。この本には多喜二の入党した共産党と叔父が信者であったキリスト教の話はでてきますが、セキ本人は晩年を除いては、信者でも党員でもなかったので、それらの教義や信条とは殆ど無縁です。それだけに、宗教色、政治色というものがまったくないセキが、素朴な一人の人間として、何が正しいのか、何が正しくないのかを訴える部分は宗教や政治を超えた説得力があります。重要なサイドストーリーに多喜二とその恋人の純愛があります。相手を思いやるがために、なかなか結ばれない二人に、セキは早く結婚させてやりたいと切に望みます。多喜二の人間的な素晴らしさが理解できると同時に純愛ストーリーとしても感動を与える逸話です。キリストの死と多喜二の虐殺の相似性を指摘する本作ですが、多喜二の虐殺の描写は、キリストのはりつけをすら超えるかと思わせるむごたらしさですが、近代に起こった事実なだけに、目をそむけずに、年齢を問わず、小学生高学年からの読者に薦めたい一冊です。最後に、セキの金言から。”多喜二が貧乏人を助けたいって考えたことが、そんなに悪いことだったべか。人の食べてる白い米のまんまを、誰にも彼にもたべさせてやりたい、そう思ったのが、どうして悪かったんだべ。なんで多喜二は殺されてしまったんか、そこんところがわだしには、どうしてもよくわかんない。学問のある人にはわかることだべか(p87-88)。”
母の愛情に勝るものはないように思います。
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三浦綾子さんは、小林多喜二の母親がキリスト教徒であることに興味を憶えたと記されています。プロテスタント文学者であり、思想犯として無残な死を遂げた多喜二という人物。今の若者に「蟹工船」が受け入れられているそうですが、多喜二の心はまるでキリストのようであったのではないかと連想したりしました。それには、多喜二が育った小林家が大きく寄与していたと思います。家族の愛情を一身に受けて感受性と正義感によって自分の考えを面に現したとき思想犯として弾圧を受ける時代があったということをこの小説は後世の人に教えているように思えます。変わり果てた多喜二を自宅で迎える母の姿を読み終えた後にも何度となく思い返しては目頭が熱くなりました。どんな時にも母の愛情に勝るものはないように思います。
今年ブームになった『蟹工船』を読む前に
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本書を読めば、何故多喜二が自らの生命を賭してまで、あの時代にあの作品を書いたのかがよく分かる筈です。実際『蟹工船』の関連書籍として、一緒に平積みにしてる書店もありました。
マリア
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多喜二の母がキリスト教徒であったことから書き上げる事を決めたという著者。
日本が貧しかった頃の話。
貧しい人々の代弁をして殺された多喜二はキリストであり、
母はマリアの気持ちに一番近い人。
多喜二と母の物語だけではなく、その家族や時代の物語。
幼少の頃からのエピソードが沢山織り込まれている。
三浦さんの本は初めてでしたが、どんどんと引き込まれていく本書に
次回もまた読んでみたいと思わされた。
この本を薦めてくれた父に感謝したい