具体例、多数
★★★☆☆
ネットでの「炎上」または、サイバーカスケード(電脳空間における一方的・煽情的な情報の滝?)をテーマにしたIT評論とでもいうべき1冊。現実に騒ぎを巻き起こした炎上事件など、多数の具体例とそれらに対するメディア論的な解釈・解説が併記されていて、それなりに楽しく読めた。
よく分からなかったのは、打開策としての「アーキテクチャの構築」。それと、他のレビュアーも書いていたが、メディアの議題設定機能論(アジェンダ・セッティング)や「沈黙の螺旋」理論の援用は、ここでは妥当だったのか、という点。ネット社会は情報の「可視化」と「つながり」を強めた、という指摘はオーソドックスで、しかもネット空間における法や道徳の過剰、および実名公開主義を警戒するスタンスもノーマル。それだけに、細部に曖昧なところが窺えたのが、少し残念だった。
おもしろいんだけど・・・
★★☆☆☆
興味深く拝読。
ただ私がネットにうといためか、後半のほうは少し難しく退屈に感じました。
自分への戒めに感じます
★★★★☆
「炎上」の話を知らなかった私としては、非常に面白く読めました。
インターネットの世界の話だけでなく、昔からあった、いじめ、集団心理、魔女狩り、極論化、といった、人の負の面が、ウェブという媒体を通して、露骨に出てしまうことがある実例ですね。難しい問題だ。
自分への戒めに感じました。
良心的なメディアリテラシー入門書
★★★★★
平易な語り口で、現代のウェブ事情をわかりやすく解説している好著。
ウェブという新しいツールにより、これまで表面化しなかった人々の欲望が、
「可視化」され、同質のものが相互に「つながり」を持つことで、一定以上の
過剰性を持つこと――それが「サイバーカスケード」です。
著者は、そうした現象を安易に現代人のメンタリティの問題とする擬似精神分析や
感情的にウェブの害悪だと言い募るメディア有害論は、益がないとします。
カスケードそれ自体を肯定したり否定したりするのではなく、あくまで
ウェブ独特の力学として実態を把握し、吟味される必要性を訴えます。
たしかに、今後ウェブは我々の生活により浸透してくるでしょうし、その流れが不可逆である以上、
感傷的な悲観論や排斥論などは無意味だとする著者の主張は至極当然なものだといえます。
ただ、そうであったとしても、ウェブという環境で生じる「過剰性」は
克服すべき課題であることに変わりはありません。
たとえば、不正をしたタレントを必要以上に追及し、執拗にバッシングするといった「私刑」。
これは、国家に暴力行使の権利を譲渡している近代法の理念からは逸脱する行為です。
また、教育現場での学校裏サイトも深刻な問題でしょう。
著者も述べていますが、歴史を参照すれば、人類はその都度
その都度、新しいメディアに適応してきました。
ウェブとも、なんとか折り合いを付けながら、
騙し騙しうまくやっていくのでしょう。
ただ、現代の中高生が、放課後もケータイによって学校の人間関係に縛られ、
相互に監視しているような息苦しさのなかで生活している現状を聞くと、
「今、十代でなくてよかったー」と心底ホッとしますねw
過去の炎上事件簿としても楽しめる
★★★★☆
炎上というとブログ炎上を想定されることが多いと思いますが
本書はブログ炎上の対策本ではなく、炎上の仕組みを解説したもの。
過去のさまざまな炎上の実例を紹介しつつ解説されており、
注釈もその都度ページの左端に付いているので読みやすい。
またP99〜100の『自分のブログが気になって離れられなくなった』
という体験談はHPなりウェブ日記などを持ったことのある人であれば
苦笑とともに共感してしまうのではないでしょうか。私もそんな一人です。