しかしその「高貴な人間性の表現」は細々とながら生き続け
ニーチェなどは、繰り返して読むに値する僅かな作品の一つとして
本作を「ドイツ文学の宝」と推賞している。
その自然描写が日本人の琴線に触れるのか、
本作と、晩年のもう一つの大作『ヴィティコー』の両作が
翻訳されているはおそらく我が国だけではないだろうか??
この下巻の、しかも終盤になってようやく物語は動き出す。
主人公ハインリヒはリーザハ男爵とマティルデの過去の悲恋を
昇華するかのごとくマティルデの娘ナターリエと結ばれる。
それだけと言ってはそれだけのストーリーだが、
季節や自然のゆっくりとした歩みとともに
人間関係が丁寧に築かれていく様は
現代の我々が完全に失ったものの一つであろう。
手に汗握るようなストーリー展開はまったくありません。ただ、人間がこれまでに築き上げてきた、あらゆる文化を誠実に守り通そうとしている人々に対して、静かな感謝をささげたいという気持ちにさせてくれる作品です。 一つだけ、いわゆるストーリーらしいストーリー展開が、この下巻に入って登場します。リーザハとマティルデの悲恋の物語です。リーザハの言っていることはおそらく正しいし、マティルデの気持ちも十分理解できうるものですし、彼女の両親の言っていることにも道理があります。それなのになぜ、全ての人達が、あんなにも長い間苦しまねばならなかったのか。誠実な人間が、その誠実さゆえに耐えなければならない苦しみ。人生にはこういうこともあるのだ、と襟を正す気持ちにさせられました。
どうかゆっくり味わいながら読むことをお勧めします。3-4日で読了しようとすれば、おそらく挫折することと思います。少し特殊な読み方を要求する作品ですから。でも、読み終えた時、誰の心にも、きっと人生に対する、新鮮で暖かいまなざしが生まれていることと思います。ラスト寸前まで名前を明かされなかったあの主人公が同じく感じたように。