いっしょに、死にたかった。: 心の奥の奥の奥の大切な人に出会うまでの物語
価格: ¥0
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この本の利益は、全額、親を亡くした子供たちに寄付されます。
突然、夫が倒れて死んだ。
突然の死の知らせから3日間の非日常の経験。警察、解剖、葬儀の主催、遺品の片付け。次々に起こる出来事にどう対応していったのかの記録。
そして、日常生活に戻ったものの、感覚は日常に戻れない。今までとは全く違う感覚の中で、どう過ごし、どう感じたのか。半年間のFacebook投稿の記事を元に、その時その場で感じていた臨場感をそのまま転載。
やがて、異常な感覚が薄れてゆき、素直に笑ったり、楽しんだりすることができるようになってくる。
そこで起こる葛藤。
夫の死に関して深い罪悪感と後悔を持つ筆者は、そういう罪を犯した自分が、その罪を置き去りにして前向きに生きようとしてしまうのを許せないと感じる。同時に、今、死ぬことができないならば、どうせ生きなければならないのなら、全身全霊をかけて、生きたい、とも感じる。
生存本能とも言うべきその強い力に抗えず、ズルズルと生きる方へ流されていく中で、筆者が選んだのは
「忘れたくない」その想いを、「本」というカタチで残しておくことだった。
あらためて夫の死と向き合う筆者。
しかしその作業は、思った以上に重くつらいものだった。
迷う心、逃げようとする無意識の力。
自分ひとりでは整理のつかないその心を、コンサルタントに受け入れてもらうことで、ようやく「本」というカタチにすることが叶う。
書き始めた時には予想もしなかった展開。
出来上がってみれば、その本は、「忘れたくない」想いを残しておくだけにとどまらず、「心の奥の奥の奥の、大切な人に出会うまでの物語」になっていたのだった。
まずは《はじめに》をお読みください。
《はじめに》
この本は、私が主人を亡くしてから、様々な出来事を経て、亡くなった主人と出会うまでの物語である。
書かれているのは私が経験したこと感じたこと、そのまま。
第1章は、現実の出来事。
主人の死の知らせを受けてからお葬式までの3日間。
第2章は、心の内の出来事。
亡くなって半年間の様々な心の内を吐露したもの。
第3章は、書いてる最中の出来事。
「今、このとき」感じている感情を、書きながら変化していく様子をそのまま、リアルタイムで書き出した。
とはいえ。
最初は亡くなった主人に出会うなんて、思ってもみなかった。
苦しい、
でも忘れたくない。
だから、書いておこう、
今の気持ちを本にして残しておこう。と、それが望みだった。
この本はもともと私がその時々に経験したこと感じたことをFacebookに投稿していた記事から引用した部分が多い。
それは、主人を亡くしてから刻々と変化していった感情をそのまま残しておくためでもある。
私がFacebookに主人に関する記事を投稿をし始めたきっかけは、
主人が亡くなった直後に恩師に言われた言葉。
「書いておきなさい」感情は変化していくから、と。
それで、亡くなって2ヶ月経った頃からだろうか、思いきってFacebookに投稿し始めた。
自分のありのままの気持ちを。心の状態を。
「書くこと」で、私は
感情を吐き出す場所を得た。
でも、読む方の人は。
暗い部分を読まされたら、気分が悪くなるだろうな。
ごめんなさい。ほんとごめんなさい。
そんな罪悪感をずっと持ってた。
けれど、半年後。
そんな私の投稿を読んで「癒された」って言ってくれた人がいた。
同じ気持ちを知っている人にとっては、共感を呼ぶ。
共感して泣くことで、癒された、って。
私がつらい思いをしながら生きている姿を見て、励まされた、って。
何度も何度も、そう言ってくれた人がいた。
涙が出るほど有り難かった。
私は自分の気持ちをFacebookに投稿することで、たくさんの恩恵を受けていたんだ。気づかないうちに。
私自身の心の状態を知ってもらうことで、
外界と連絡を断った理由を理解してもらえた。
励ましや共感のコメントをたくさんもらった。
今は休んでいていいよ、とか。
私の母も同じだったよ、とか声をかけてもらった。
身近な人には言いにくいだろうからと、関西から東京に来たときに時間を作って会ってくれた人もいた。
これを読むといいよ、と本を紹介してくれた人もいた。
幾重にも恩恵を受けていたことに、そのとき気付いた。
この本は、そんなあたたかな心の交流から生まれたものだ。
書いていくうちに、亡くなった主人に出会えたのも、その恩恵かもしれない。
だから、
私はこの本を商売にするつもりは全くない。
購入していただいた代金は全て寄付する。
親を亡くした子供達のために、使ってもらおうと思う。
私も、大切な人を亡くしたから。