メインは、武満徹の一連のギター作品。武満徹の作品に通じているのは、ぽっかりとした空を見上げたときに心に生まれる、旅情にも似た不思議な切なさではないかと思う。弾き手によっても、聴き手によっても、そのときの精神状態によって、それは悲しげにも楽しげにも響く。村治の演奏は、“静けさへの意識”が高い。鳥たちが歌う風光明媚な自然に囲まれたロンドン郊外のスタジオでレコーディングされたことも関係しているかもしれない。「不良少年」も、「あまり不良っぽくない」という人もいるかもしれないが、団塊世代的なロマンや屈折・情念とは無縁な、曲そのものの美しさに耳を傾けるこうした演奏はむしろ好ましく響く。武満徹の作品はすでに、生前の武満徹やその交遊関係から離れて、より若い世代に確実に引き継がれていっているということの証明であろう。音楽が一部の閉鎖的な愛好者のための所有物にとどまることを最も嫌った武満にとっても、こうした演奏はうれしいはず。
ギタリスティックな意味での聴き応えが最もあるのは、タルレガ「ヴェニスの謝肉祭による変奏曲」だ。ユーモラスな音色に村治の新境地を感じる。かつてジョン・ウィリアムスがとりあげていたギリシャの作曲家ミキス・テオドラキスの一連の作品は、アクの強さ、土臭さが決して嫌味にならず、広く受け入れられる美しい演奏。スティングの名曲を抒情的に編曲したドミニク・ミラーとのデュオ2曲は、かけ離れた2人の個性が触発しあう姿が興味深い。(林田直樹)
しかしながら、随分前にテレビで彼女を見た時から気になっていたので購入に至ったのだが、何故彼女が人を引き付ける魅力があるのか?このCDを聴き込んでその片鱗に触れた気がした。
当然この作品のみでは彼女の魅力は到底語ることが出来ないが、決して彼女のヴィジュアル的なことばかりではなく、この曲を聴く全ての人へのメッセージ、さらには彼女の内面的な優しさ、力強さ、素直さなどがクラシックギター特有の透明感のある旋律に乗って心に響く。
彼女のその調べに想像を重ねては、時には強く、時には優しくガットを弾き、その指の一本一本の繊細な動きまでもが見えてくる。
なんと心地の良いことだろう、さらに彼女に魅了されてしまった。クラシックギターが欲しくなる。
彼女をもっと知る為に過去の作品を聴きたくなったのは言うまでも無い。今までストーンズ好きの私が店でクラシックのコーナーに立つことはあまり無かったが、村治佳織という一人のアーティストに出会ったことでその機会が増えるのは喜ばしい限りである。