禅に更なる興味が持てます
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平易な文章、大きな文字と
読みやすくなるように気遣いが施されています。
禅に対して知識のなかった私ですが、
読後、大いに禅に対して興味がわいてきました。
その思想の深さの一端に触れることができたと
思わせてくれる、良書であると考えます。
禅を学ぶことは、日本を学ぶことだと思いました。
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到知出版の編集部員が、毎月一度龍源寺に松原先生を訪ねて禅の勉強会を行っていたそうです。その時の講話が7話収められています。不遜な言い方ではありますが、松原先生は、お歳を重ねるに連れて、ご修行もどんどん深くなっておられるようで、難解と言われる禅の哲学を実に明快に学ばせていただくことができます。禅のみならず、仏教の様々な宗派の教義やキリスト教哲学、さらにはマルキシズム、西洋哲学、東洋哲学に通じておられて、その碩学振りに驚くと共に、勉強することの楽しさを味わわせていただけます。苦難に際しては逃げてはならない、と語っておられます。どういうことかな?と読み進めますと逃げないということは、苦しい時にはクルシイとのたうちまわる、悲しい時には泣きまくる。自分の心を素直に受け止めよということなのだと感じました。逃げない、というと嫌な事があればぶつかって乗り越えてゆくことかと考えてしまいがちですが、嫌な事、辛いことをそのまま受け止めることです。ああ、こういうことか、とすっと教えが入ってまいりました。百歳で今もって修行を重ねておられる僧侶のお言葉には深い意味が感じられます。禅を知ること、仏教を知ることは、日本人の魂を知ることにつながっていると思います。
松原泰道師の本は、年を重ねる毎に人生の深さ・大切さに気づかされます!
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昨年の誕生日で満百歳になられた松原泰道師。
おめでたい誕生日の直後にご自身が住職を務めた寺で法話をされた、その貴重な時間を過ごさせていただいた者としては「本当に百歳?…何故、あれだけの豊富な知識と独特の説得力あるお話が1時間以上も出来るの…???」と思うぐらい、まあ超人的な貴重な法話を聴く事が出来ました。
そのお話しについては松原泰道師がお始めになった宗派に拘らない仏教の名僧が集って辻説法として法話を行ってきた「南無の会」の会報で連載されていましたので入手可能ですが(=ちなみに南無の会の説法のお一人には美輪明宏さんがいらっしゃいます。)、本著が出た後に何度も何度もこの本の「読みたいなあ…」という部分を読むと…とても深い人生観を共有することが出来る、そういった印象の強い内容の本です。
禅語とは広義の意味で「自然のたたずまいを詩(よ)んだ漢詩などの詩を、禅の心の象徴として禅語とみなす」と師はお話しされています。例えば「山花開いて錦に似たり」という漢文から「咲いた花は必ず散る」という仏教の無常を読み取る、そうした解釈をしていくのが禅語である、と説かれています。
「遠慮」という言葉。これも禅語として考える事が出来るそうで、禅語としては「遠い先の事を考える」とか「他人の身になって考える」、こういう意味との事です。現代は自分の事ばかり考え、目の前の事ばかりで考える愚かさがこの言葉から逆に際立つ、こういう事に気づかされます。
ちなみに「人間」という言葉を禅語として解釈すると、「人は文字通り、互いにもたれ合う、という意味。間は広辞苑の中に“めぐり合わせ”という意味がある。」とのこと。そうすると人間とは網の目のように「一つを取るとバラバラになる」ので共に支え合って生きる、という深い意味がある、と本著からまた深い深い勉強をさせていただきました。平易に書かれていますので初めての方も是非お読みください。