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経済学の名著30 (ちくま新書)

価格: ¥903
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:松原隆一郎/著 出版社名:筑摩書房 シリーズ名:ちくま新書 785 発行年月:2009年05月 関連キーワード:ケイザイガク ノ メイチヨ サンジユウ チクマ シンシヨ 785 けいざいがく の めいちよ さんじゆう ちくま しんしよ 785、 チクマ シヨボウ チクマシヨボウ 4604 ちくま しよぼう ちくましよぼう 4604、 チクマ シヨボウ チクマシヨボウ 4604 ちくま しよぼう ちくましよぼう 4604 市場経済はいかにして驚異的な経済成長を可能にするのか。そうして社会が豊かになっても貧富の格差が拡大するのはなぜだろうか。また、資本主義が不可避的にバブルや不況を繰り返す原因はどこにあるのか-。スミス、マルクスから、ケインズ、ハイエクを経てセンまで、本書は厳選された30冊の核心を明快に解きほぐすブックガイドである。それぞれの時代の経済問題に真っ直ぐ対峙することで生まれた古典は、私たちが直面する現下の危機
新古典派に対する戦いとしての経済学史 ★★★★☆
この本は他のシリーズとはかなり異なる特色がある。それは,他のシリーズが学際を意識してしょっちゅう他の分野の古典を30に収録していたり(シリーズほぼ全てにマルクスとウェーバーがいる驚き),前近代の学者を取り上げ「近代の先駆」と紹介したりするわけだが,本書はジョン・ロック,ヒュームの二人を除けば,3人目にアダム・スミスで以降は全て近代以降の学者である。また,最後の3人ボードリヤール,ロールズ,センの3人を除けば,全員純粋な経済学者である。また,他の本では日本の学者を何人か収録しているが,本書は完全にゼロである。結果的に,徹頭徹尾経済学史の解説に終始した感がある。

解説はわかりやすく,他の著者のやってしまった,解説なのか本人の感想なのかが不明瞭ということもなかった。その点では宗教学30と並び優れている。ただし,気になった点として,著者は専門が「社会経済学」であり,また比較的ケインジアンでもある。そのため,本書の前書きで「特定の学派の優位性を主張するような構成にはしない」と述べているにもかかわらず,新古典派をとことん批判している。より正確に言えば,スミスやリカードのような古典派は批判していないし,ハイエクもどちらかと言えば擁護している。まるで袋叩きなのはサムエルソンとフリードマン,つまりガチガチの最右翼な新古典派である。そして,新古典派による古典の読み方は誤解だとして,その都度批判している。これは「特定の学派」に対する格差をつけた紹介ではないだろうか。

ただし,著者の言うことを真に受けるならば,確かにフリードマンの業績には疑問符がつくし,確かにそれが私が経済学,ひいては社会科学に対して抱いてきた疑問・嫌悪感の源泉とも一致した。すなわち,人間は心を持った生物であり,「科学的な」分析は限界がある,もしくはそのような謙虚な研究態度が必要ではないだろうか,ということだ。ゆえに,社会学や歴史学を「社会科学」もしくは「科学」と見なす態度に対し,私は疑問を投げかけている。この辺の考え方は著者が相関社会学・社会経済学を専門としているだけあって主張に近いところがあり,それを踏まえると著者のハイエク擁護は意外ではない。

本書は上記のような新古典派たたきが激しいということを念頭に置いてさえ読めば,優れた入門書だろう。なにせ,経済学はさっぱりだった私が読んでも大丈夫だったのだから。本書で紹介されているのは上記に挙げたもの以外では,リスト,JSミル,マルクス,ワルラス,ヴェブレン,シュンペーター,ナイト,マーシャル,ケインズ,ポラニー,ガルブレイスといった面々である。
人類の共有財産としての古典―経済思想の知的ドラマの世界へ ★★★★★
  複数の目的と動機が絡みあう人間社会の解剖学たる経済学は、古典なしに語りえない。スミス、ケインズ、ハイエクら著名な人物の古典30冊を選抜し、現在的意義も含めて彼らの思想と理論を解説する卓抜の好著が誕生した。精彩に富む知的作品だ。グローバル化の時代下、経済学の古典がいかなる役割を担っているかという興味関心をもつ読者に対し、本書は格好の手引きとなろう。紹介される30冊は著者の経済学観を反映し、挑戦すべき問題群は多岐に及ぶが、とりわけ次の着眼が傾聴に値する。

  1つは、金融・資産市場の不安定性。不確実な将来における人間心理(確信・不安)と貨幣保有との有機的連関を深く省察したケインズの理論がそれを鮮明に描いている。資本主義を「市場」経済というより「貨幣」経済と把握すれば、貨幣をめぐる社会心理の「揺れ」にその不安定性の主因を見出せる。景気循環の根源を生産側の実物的なイノベーションに帰結させたシュンペーターの見解とは鋭く対峙する。もう1つは消費社会の変容。商品の特質は、企業と「差異(化)」そのものに価値をもとめる消費者間で創出されるイメージや個性に内在するとみなす、ドラッカーやボードリヤールらの洞察である。現代経済社会の駆動力として、人間の内省とそれが重なりあう社会心理との相互作用を重視する側面で2つは交わる。

  成長から停滞、物質面から精神面へのシフトが現実味を増しつつある昨今、リストの「精神的国民資本」やJ・S・ミルの「精神的成熟」をめざす学説はかえって新鮮で、これからの座標軸を確立すべく一契機とならないか。市場・貨幣、自由・平等、所有・統治、正義・福祉など、歴史的重みをもつ相関諸概念の再吟味も欠かせない。それらは未来に向けて常に鍛え直されるべきものだ。総じて古典は人格形成の貴重なファンデーションである。経済学の古典をめぐる壮大な「歴史的時間」の旅は、「覚醒」の旅となろう。本書の多様なドラマが読者をいざなう。

  応用編である著者の最新作『金融危機はなぜ起きたか?』(新書館)との併読も推奨したい。

「経済」と「政治」 ★★★★☆
経済学といえば数学的な学問と思いがちですが、実際は政治学的、倫理学的、心理学的な学問ということがよく分かり面白いです。実際に時代を超えて現在に活用できるのは倫理学的、心理学的な部分だと思います。

ただ、この本を読む限り、社会は豊かで悲劇的(不安定、不確実、不道徳)な社会か、貧しくて悲惨な社会かの、どちらかしかないような気がするのですが、実際はどうなのでしょう。(悲劇的でも豊かな社会の方がよいとは思いますが)
数理経済学のサムエルソンについて ★★★★☆
史上もっとも多く売れたサムエルソン『経済学』で、現代、多くの大学で講じられているミクロ・マクロ経済学という分析に数学利用が不可欠という脅迫観念を浸透させた。彼が大学院生の頃、アメリカでは実証分析や制度論が絶頂期で、彼の登場以降、経済学は数式で表現されるモデル分析へと急速に傾倒して行く。また多くの数学者や工学者が参入し計量経済学からシュミレーション分析へと巨大コンピュータというハードの進歩とともに研究が大いに進んだ。
それは同じく数量表現の背後にある人々の生活や心情への配慮を経済学から放擲する過程であり、経済思想史に名を残す人々の思考の大半を否定してしまった。というよりそれまでの文学的、社会学的、政治学的なものから、実証科学的、なものへと腑分けされ、より細分化・細密化したものへとなった。その結果、現実世界からの乖離がより大きくなった。自由資本主義経済を世界がめざす以上、勝ち組、負け組、格差社会、南北格差は無くなるはずは無い、それは遅れて参加したロシアや中国をみれば顕著である。そのような矛盾を孕んでいても自由資本主義経済がやはり人間の欲望をより充足してくれるならまだましだと思うしか無いので・・・・
今こそ古典の力を活かす時 ★★★★★
社会経済学を専門にする著者が、現代(特に経済危機にあるこの瞬間)においてもその力を発揮しつづけている経済学の古典を幅広く紹介した好著。
著者自らが述べているように、特定の学派の優位性を主張するような構成にはなっておらず、多様な思想から現代に生かせるものを読者に考えさせるための案内書になっているといえる。1冊あたりの紹介は10ページ程度とコンパクトだが、それぞれの古典がどのような歴史的状況の中でどんな思想を体現しているのか、大胆に個性をつかまえて紹介がなされており、印象に残りやすい。
本書は単に各著作のエッセンスを入門的に紹介するだけのものではなく、現代にこれらの古典が読まれる意義について、著者からの明確なメッセージがあるという点は強調しておきたい。自由とは何か、正義とは何か、消費の意味とは何かなどについて経済学の名著は思想を豊富に提供する。しかし、現在進行中の金融危機の背景にある市場原理主義は、このような思想を捨て去った浅薄な経済理論に則っているために、破局的な状況に対して根本的な対策を提示できないでいる。こうした世相や経済学界の思想状況への痛烈な批判が本書全体に散りばめられている。
もっとも、筆者が反新古典派の主張を押し付けようとしているわけではない。主流の経済理論がスタンダードとなり、それ以外を認めない不寛容さが支配的になり、多様性を失っていることが問題なのである。混迷の時代には多様な思想が闘わされることで処方箋が生まれるものである。今こそ古典の力を活かさなければならないというのが本書のメッセージである。