ユリシーズはオデュッセイアの英語名
★☆☆☆☆
ユリシーズという名前はよく見るし、さながら勇敢なイメージが伴っていることもあり、一度は読んでおかなければならない古典なのかと思っていた「ユリシーズ」だが、実際に読んでみるとなんじゃこりゃ感が漂う代物であった。
で結論を言えば、巷で見るユリシーズという名前は『オデュッセイア』の登場人物オデュッセウスの英語名という意味であってこの小説とはあんまり関係がないことを理解して納得した。
そのことをこの「漫画で読破」を読んで理解できたことは本当に満足です。
この小説『ユリシーズ』は叙事詩『オデュッセイア』のパロディに始まり、その当時の名作に対してオマージュやパロディを組み上げた作品であるらしい。
であるならば、上司がいきなり意味不明なことを口走るのも、「なるほど、この作品は原本で読んでそのテキストの遊び方を楽しむものなのだ」と思えば納得ができる。
確かに日本語訳をするにはかなりの難題を抱えている感じがするが、それはやりがいのあることなのだろう。
実際そのパロディの扱い方を日本風にしてこその訳の存在があるようにも感じられる。
漫画から読んだその全体的な話は面白くないの一言だったが、作品の背景ってのが重要であることを学べた点でよしとすべきだろう。
まんがでも分からない
★★★★☆
1904年6月16日、ダブリンのとある1日に起こった出来事を、語呂合わせや,文体模写など、様々な文体で、
さらに、意識の流れなどを文章化するという実験的な手法を用いて描写している。
全体の構成はホメロスの『オデュッセイア』のパロディになっている。
ぼくは、丸谷才一版,柳瀬尚紀版,古くは伊藤整版,龍口直太郎版(懐かしや高校時代の英文読解の副読本を書かれた方だ)
に挑戦したが,どれからも撃破された。
「まんがなら」と思ったがやはり沈没してしまったのである。
なぜ,このような無謀な体当たり攻撃をするのか。
それはユリシーズが「20世紀を代表する小説の一つ」とか言われるからである、
でも、もうぼくは20世紀を代表しなくていいことに決めた。なあ,ダシル・ハメットの
『血の収穫』よ。
コンナモノガアルノカ・・・・・
★☆☆☆☆
驚いた! 漫画『ユリシーズ』。
これをやるなら『オデュッセイア』のほうではないだろうか?
エイゼンシュテインは『資本論』の映画化を考えていたし、ヴィスコンティは『失われた時を求めて』のシナリオをつくっていたようだから、試みは大いに評価したいが、それにしてもこの漫画のつまらなさ・・・・。
大西巨人の『神聖喜劇』漫画版は面白かったがなあ。
1つ素人発想ながら提案。
トーマス・マン『魔の山』を漫画化してはどうか? ただし、チマチマと文庫1冊でやるのではなく、大判でリアルな絵で。コックリさんのシーンなどゾクゾクするかも・・・。
あとマキャベリの『君主論』はいかがか。
20世紀文学の最高傑作をマンガにしてみると
★★★★☆
まず小説のあらすじが小説よりも解かり易い。小説だとやたら古典の引用と注釈が
出てきてそちらへ注意を注いでしまう。このマンガだとあらすじに集中できる。
ただし時々古典の引用や過去の偉大な芸術家を対比して思考実験する場面は
マンガでも少し残しています。これがないと「ユリシーズ」のユリシーズらしさが
なくなってしまう。
次に20世紀の最高傑作などと評価されているからといって躊躇しないで
読んで頂きたい。これはマンガになってより敷居が低くなって読まれる機会が
増えて良かったと本当に感激しています。
またこのマンガを読んだ後に小説へ挑む時も変に気構えないで欲しい。
それはマンガにあるようにかなり笑えるシーンもあるし、アブノーマルな行為
に入る事もあるし、思考実験を行なって知的刺激もある。
非常に多様性のある、古典の引用も含めて多岐に渡る壮大な小説です。
だから最初から読むなんてことはしなくてもパラパラめくった所から始めたら
良いし、読みたい箇所から読めば良い。あまり気張らないで軽く読み流す程度に
堪能して欲しい。
それから「ユリシーズ」を敷居の高い小説にした評論家や作家はA級戦犯として
求刑したい。彼らの小難しい評論のために「ユリシーズ」を遠ざけている読者の
多さを考えるともう
文壇に出てきて欲しくないです。立花隆氏よ安らかに眠れ。
男性視点の随筆です。
★★☆☆☆
全体的にゆっくり、まったりと時間が流れています。
絵が多くて、文字が少ないページも多いです。
しかし、明確なメッセージがなく、わくわくドキドキという感じがありません。
私には合いませんでした。