搾られ、搾り尽される人々
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大阪のスラム釜ヶ崎で日雇い、ドヤに身をやつす人々。
紡績工場に縛められる女工たち。
タコ部屋という無間地獄に監禁される土工たち。
炭鉱の深い闇に暮らす一家。
酷使され迫害された朝鮮人たち。
等等・・・
民俗学の権威宮本常一による日本残酷物語シリーズ第5部です。
近代日本の暗黒、時代の変わり目の波瀾に生きた人々を照らし出す一冊です。
著者の言う「なんの保障も無い社会」とは、転落をの歯止めとなる社会的な制度が
無いばかりでなく、奈落に一度転落したら最後、這い上がることは不可能であったということです。
落ちぶれた者は、着の身着のままごくわずかな銭を手に田舎に帰れるはずも無く、
ある者はスラムの貧民窟に入り元締めに高額な家賃を搾取され、ある者は甘言に乗せられ、
遠い北の果てのタコ部屋や炭鉱に監禁され、苛烈きわまる労働と虐待を味わい、
女たちは海を越えて売り飛ばされました。
一度そのような世界に入ってしまえば、「スラムの人間」などと相手にされず、
紡績工場、タコ部屋や炭鉱などにいたっては、逃げ出そうとすれば直ちに追っ手が走り、
捕らえられたが最後、見せしめの陰惨な私刑が待っているのが当たり前でした。
そして多くの労役者たちが、「病死」、「逃亡」などと偽られ、その命を闇から闇にかき消されました。
一体北海道などは「鉄道王国」などと呼ばれたように、多くの鉄道がありました。
しかし明治、大正、昭和初期にいたって建設されたそれらは、「開拓者」という名の
奴隷以下の土工たちによって作られたものでした。
ある路線が廃止になったとき、「歴史に幕を閉じた」、「役割を終えた」などと
言われていましたが、それは同時に都会で奈落に落ち絶望に苛まれてなお、北の果てに
追い立てられ、「開拓者」として乾ききった体を搾りつくされ、骨の髄まですりつぶされた、
人々の吐いた悲哀と血すら無くなってしまうということではありません。
我々がこんにち甘受している社会保障制度や福祉制度の類は、為政者や支配者たちの
善意によってのみ成り立ったはずは無く、掃き棄てられ溢れ出した人々の悲憤と怨念が、
絶望の淵から社会を揺さぶったからに他なりません。
その歴史的成果は、著者が序文で記す、「未来のもっとも見分けがたいかすかなしるし」であるのだと思います。
そういった意味で、本書に記してある出来事は、遠い昔の人々の苦労話であった
というだけで終わってしまうものでないことは明らかで、むしろ格差社会や日雇いの
労働者などが社会問題化している現代において、再び光をあてられるべきものだと思います。
※ちなみにタコ部屋で労役者たちが搾取される様子は、『蟹工船』など別の書籍と平行して読んでみると、
より問題の深さや、その後の社会に与えた影響などが分かると思います。