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ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫)

価格: ¥452
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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ハドリアヌスと慈悲深いアントニヌス ★★★★☆
本書には、文庫第25巻に続いて、まずはハドリアヌスの治世の後半が描かれている。史上最大となったローマ帝国の広大な版図を、
ハドリアヌスはわざわざ自らの足で回り、防衛体制を中心に手直しと再構築を施していくのだった。
英国からアフリカからギリシアから、そこらじゅうを視察巡行した皇帝である。その留守中も特に問題なく帝国統治は機能していたのだから、
この時期の帝国のシステムはかなりうまくいっていたのだろうと考えられる。そんなハドリアヌスの治世だが、本巻の重要事項のひとつはユダヤ問題である。
多神教のローマの中にある一神教のユダヤは、神ではなく皇帝に忠誠を誓う訳にもいかない、ゆえに軍団勤務もない、とあって特殊な存在であり続けてきた。
そんなユダヤを、塩野氏の解釈によればハドリアヌスは挑発し、結果的に反乱が勃発。この後延々と続くディアスポラ(離散)を引き起こすことになる。
ギリシア人とのゴタゴタなど、時折問題が持ち上がるユダヤではあったが、今回、ローマが与えた数多の自由はユダヤ教徒の視点では自由ではないという指摘に考えさせられた。
心身とも疲労困憊になり燃え尽きたのか、ハドリアヌスは病身となり、周囲が気をつかいにつかって接しなければならないような難しい人間になってしまい、その生涯を終えた。
後を継いだのは「ピウス」即ち慈悲深いと綽名されたアントニヌス帝である。所謂「いい人」であったのだろうか、この皇帝の治世はそれなりの長さがあったにも関わらず、
描写はさっさと崩御したネルヴァ帝並みの短さだ。良くも悪くも何も起こらなかったということだろう。ただもちろん、それはトライアヌスやハドリアヌスが
帝国のシステムを、行政面軍事面ともどもしっかりとチェックして補強しておいてくれたおかげともいえる。ここまでしっかり作り上げておいた帝国が、
そろそろ衰退していく時代も近付いてきた。本書はハドリアヌスの晩年と何事もなかったアントニヌス帝のまとめでやや単調な巻ではあるが、次巻を楽しみにしたい。巻末に年表、文献表つき。
ローマ帝国のまったく平穏な時代 ★★★★☆
帝国巡回の旅に出たハドリアヌス。塩野氏が、ハドリアヌスが挑発して勃発させたと論じるユダヤ反乱を制圧し、ローマ帝国の不安要素をほぼ排除します。しかし、後に「一貫していないことでは一貫している」と評される性格のハドリアヌスは、晩年、単なる気難し屋とも言える行動が多くなります。塩野氏は、この原因を「年齢(高齢)」「病気」だけでなく、やらねばならない仕事はすべてやったという精神のゆるみに求めます。ハドリアヌスがそれだけ働きに働いたということの裏返しといえるでしょう。
功績が大きいながらも元老院からも市民からも疎まれて死んだハドリアヌス。その後を受けたアントニヌス・ピウスは、その名のとおり、「慈悲深い(ピウス)」政治を行い、人気を得ます。その治世は23年の長期に亘りながら割かれた紙幅はたった50ページ。この時代がローマ帝国にとってあまりにも平穏で、塩野氏曰く、「特筆に価する新しいことは何一つしないのがアントニヌスにとっての皇帝の責務の果たし方であった」。
本書のみどころのひとつとして、現代にも通じるキリスト教とユダヤの関係に、ローマ帝国がどのように関わったのか(ハドリアヌスによる対ユダヤ政策)を挙げておきたいと思います。さまざまな因果が絡み合う歴史の「あや」を感じさせる項です。
現代社会はローマより近代的か? ★★★★★
当時のローマを評したアエリウス・アリスティデス(ギリシア哲学者)の言葉より:
「ローマは、誰にでも通ずる法律を与えることで、人種や民族を別にし文化を共有しなくても、法を中心にしての共存共栄は可能であることを示した。そして、この生き方がいかに人々にとって利益になるかを示すために、数多くの権利の享受までも保証してきたのである。」 (P.177)

ローマ人は、属州税により帝国を維持し、属州には自治の自由を与えた。現代の帝国アメリカは属州税はとらないが、グローバリゼーションの名のもとに、富がアメリカへ集中する仕組みを作る。
 これは、ローマが明確に名主国であり、属州から税を集める権利を有していたのに対し、現代の国家は、表面的には平等であり、あからさまに帝国に富を移動させる仕組みがないためか。
 表面的な平等のため、現在の属州・属国は、自国の文化を侵食されようとしている。

社会の統治システムは、決して時代を経ることにより、よくなるものではない。
皇帝にも色々いる ★★★★★
ハドリアヌスはその鋭敏な感性と、人に一切親密さを抱かせない独特の感性で帝国を仕切り晩年には自分の存在すら必要の無いほどのシステムを築き上げる。別邸にこもった後は常に癇癪を起こし不機嫌極まりなく元老院にすらその矛先を向けたため皆からとにかく疎まれる存在になってしまった。その点アントニヌス・ピウスはとにかく人に好かれ、独断で決めることなく常に前任を意識しながらもスムーズに統治を完遂した。
大改革を推し進めるものに人格円満な者は無いというのは本当なんだろう。
穏やかに見えるピウスだが、未来の哲人皇帝となるマルクス・アウレリウスが家庭教師に死なれ泣いているのを見て「感情を抑制するのに、賢者の哲学も皇帝の権力も役には立たないときがある。そんなときは男であることを思い起こして耐えるしかない」と諭したあたり強固な精神に支えられた男であることよくわかる。
あまりにも良い仕事をしすぎた逸品。 ★★★★★
故司馬遼太郎氏は、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえに、その裏表としての「功罪」を生じさせた。
即ち、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえに、多くの人が、そこに書いてあることが史実であると思いこんでしまっている・・・、つまり、司馬史観というフィルターを通して見てしまっていることである。

そして、その点で、塩野女史もまた、然りであろうか。
これまで、日本人にあまり馴染みがなかった古代ローマというものを、系統立てて、わかりやすく、それでいて、既存の学者の説をなぞるだけに終わらない、優れた逸品に仕上げた。
だが、それだけに、この時代までの、つまり、ローマ帝国がきちんと機能している時代までを理想的な政体であるかのように描いているが、いかに素晴らしい政体であっても、現実には、古代国家以外の何ものでもなかったであろう。(無論、現代より優れた部分もあっただろうが、)
ローマとは、奴隷で成り立っていた政体であり、そのことは、貴族の平均年齢65歳、奴隷の平均年齢20歳という数字が雄弁に物語っているだろう。
作者は、「解放奴隷」などの救済措置があったことで、奴隷制度の現実を希釈して伝えているが、これら負の側面についても、もっと詳述するべきではなかったか。