漢字にまつわる小噺が満載されている
★★★★☆
本書は、著者の「漢字のルーツは中国であるが、日本に導入されて以来、
日本独自の発展を遂げてきたために、現在では日本独自の性質をもって
いる」という信念の下に書かれたものである。
本書の前半は、主として上述した著者の考え方を主張し、後半は徐々に
漢字にまつわる小噺を紹介していくという体をとっている。
漢字について書かれた本は、私は初めて読んだたこともあり、これら
小噺のほとんどは初めて知るものであり、興味深かった。
確かに、著者が述べているように、現在の日本語は漢字なしでは
成り立たないと言ってもいい。日本人として身近である故に、あまり
客体視して考えない漢字というものが、どこから来て、どのような
役割を果たし、どのよな性質を持っているか等を考えるきっかけを
与えてくれる本であると思う。
校正係の小話
★★☆☆☆
当用漢字、常用漢字や簡体字問題などを話題にしているが、読者としては校正係とは相当の漢字オタクでないと勤まらないという感想です。
世の中は色々なオタクで成り立っている。
内容の信頼性には要注意。
★★☆☆☆
本書第一章とその紹介対象『新潮日本語漢字辞典』の問題意識の原点は、「漢和辞典は、漢文を読むための辞典」であり、「漢和辞典で日本語に使われる漢字を調べるのは、どうしても無理があります」という点にあります。この問題設定自体は、とても良いと思います。
しかしながら、内容を実際に読み進めていくと、消化不良な部分が多く、結局、漢和辞典や国語辞典との違いが充分に像を結んでいないような気がします。原因は、いうまでもなく対象領域が曖昧なため。(辞書類を作成する上で最も困難で重要な部分。)
- 漢字に重点を置くのか、熟語に重点を置くのか?
- 日本由来のもの限定なのか、中国由来のものも含めるのか?
- 現代語限定なのか、伝統的な古い語彙も含めるのか?
以上の点が終始揺れていて、どこまでを含み、どこからを含めないのかが曖昧です。部首配列モデルも、散々批判しておきながら、対案となるモデルを提示しないまま、結局「従来の漢和辞典のやり方をあえて踏襲」すると結んでいます。
第二章〜第五章は短い漢字コラムの集積、第六・七章は常用漢字表・当用漢字表・人名用漢字・JISコードに関する話題が続きますが、こちらは全体的に漢字ナショナリストによる個人的・主観的な想いの吐露といった感じで、客観性・論理性に乏しく、バイアスも掛かっていて、個々の内容の信頼性にも疑問が残ります。情報が古かったり、足りなかったり、間違っていたりする部分が思いのほか散見しますので、安易に鵜呑みにしないよう注意が必要です。(具体例を3点だけ挙げておきます。)
-「『吉』という字は、明治以前には字典の中にしか存在しなかった」「これは中国でも同じ」(p.028)→ 実際は多数ある。(ex: http://www.joao-roiz.jp/HNG/search/word=%E5%90%89、http://coe21.zinbun.kyoto-u.ac.jp/djvuchar?query=%E5%90%89)特に科挙の教科書ともいうべき開成石経や、それに附刻されている唐の張参『五経文字』・唐玄度『九経字様』が「吉」(サムライヨシ)の字形なのは影響力の点から重要。
- 「一つの字の音読が何種類もあるのは、日本だけ」「中国には一つの字に対して一つの読み方しかないのが普通」(p.083)→ 中国語も同じ字に複数の読みや声調を持つことがしばしばある。たとえば「和」は、声調違いも含めると he2, he4, huo2, huo4, hu2 の5音ある。(そもそも、音読が何種類もあることにどんな意義があるのか?という疑問もありますが。)
- ISO/IEC 10646に入っている漢字は「二万一千字近く」(p.186)→ これでは基本多言語面、それもCJK統合漢字領域だけ(十年前にはすでにこの水準)。いわゆる"ツチヨシ"を含む、追加漢字面などの拡張漢字も含めるとすでに70,000字以上。
役にも立たないおもしろさ
★★★★☆
世に雑学辞典なる本があります。
これは、その漢字バージョンです。
第1章では、自分が編纂した新しい漢和辞典のことを、子供のように胸をそらして、エッヘンと自慢しています。
第2章以降は、自分の漢字コレクションを、ちょうど子供が自分の虫コレクションを自慢するように、これも見て、これもおもしろいでしょ?、と見せてくれます。
何かのために本を読みたい人にはお勧めしません。
たとえば、職場の人間関係を改善したいとか、貯金をふやしたいとか、そういう人には不向きの本です。
また、エンターエインメント小説が好きで、ハラハラドキドキしたい、感涙に咽びたい、大笑いしたい、という人にもお勧めできません。
この本は、怠け者が読む本です。
例えば、けだるい日曜の午後、横のものを縦にもする気になれず、ナメクジのようにずるずると書架に這っていき、なにか暇つぶしに、と手にするのです。
そして、ナメクジ姿勢のまま、ほにゃらほにゃらと読みふける。
それがこの本の正しい読み方だと、私は思います。
ずっこけました
★☆☆☆☆
この本から読みとれるのは、ほぼ「著者は漢字が大好き」ということだけでした。漢字を崇め奉りたい欲求のあまり、かなりトンデモな議論が展開されてます。「諸外国の人々が平仮名をマスターしようとしたら大変な苦労をするだろうことは、容易に想像できるのである。平仮名は、造形的には世界でも有数の難しい文字であるに違いない。」(p.102)と、ひらがなは漢字より難しいと、実証的には成り立たない主張をする一方、「あらゆる漢字は…約八百の要素の組み合わせからできている…。私のような記憶力の弱い者でも多くの漢字を覚えてこられたのは、これらの要素だけ覚えていれば、あとはその組み合わせでいけるからである。」(p.116)と、その学習の困難さは全く問題にしていません。こうした矛盾には気づけない、知識だけ肥大化した漢字オタクによる書、と言えます。