歴史の偶然なのか、謀略なのか?
★★★★☆
私は以前から、ティコとケプラーの出会いに不自然さを感じていました。1年と少しのうちにティコの大切な観測記録をケプラーが引き継ぐのはあまりにも出来すぎたストーリーのようで、個人的には信じられません。だからというわけではありませんが、この劇的な科学史にはなにか裏があると考えるのもまた不自然ではないと思うのです。ティコが精神・体力とも充実していたことを考えればやはり、この一件には病気ではない理由で命が奪われたとの考察も納得のいくものです。この本ではティコやケプラーの人物像、業績、さらに周囲との書簡についても知ることができます。今後も議論の分かれることですが、一つの可能性として知っておくのもよいと思います。
衝撃的な内容
★★★★☆
衝撃的な内容の本である。結論には疑念を残すが。アマゾンドットコムでこの原本を探し、その評を見れば結論に肯定的な書評は少ないが、興味深い観点と書き方であるというのが平均的な見方のようだ。アマゾンドットコムでKeplerを検索すれば、この原本は2004年5月に出版されている。そしてほぼ同時にコナーという著者が、悲惨な生涯のなかで、信仰と信念を貫き通した偉大な男としてケプラーを著していることがわかる(Kepler's Witch:2004年3月出版)。またその二年前キティ・ファーガソンがティコとケプラーという書物を著し、二人の協同研究をDysfunctionalだが実り多かったものとして、美しく著している。アマゾンドットコムで見る限り、すべて同様に売れており、アメリカの読者は比較して読んでいるようだ。この本の訳をきっかけに、日本の読者がティコやケプラーが活躍した、近代科学の曙期に興味を持つことを願う。そして他の本が訳出されるよう、出版社が努力されるよう願う。
ケプラーは、ティコ・ブラーエを毒殺したか?−−粒子線励起X線分析が暴いたケプラーの法則発見の裏側
★★★★★
私が、ケプラー(1571−1630)に関心を抱いたのは、高校生の時、数学の教科書で、ケプラーに関する短い文章を読んだ事と、その同じ高校生時代に、ケプラーの生涯を題材にしたヒンデミットの交響曲「世界の調和」を聴き、感動した事が、切っ掛けであった。以来、私はケプラーに関心を抱き、医学と言ふ、物理学や数学とは、関係の薄い分野に進んでからも、私は、近代科学の誕生において大きな役割を演じたこのケプラーと言ふ人物に、深い関心を抱き続けて来た。
そんな私にとって、この本の内容は衝撃的であった。本書によると、1991年、プラハに在る、ティコ・ブラーエの墓からブラーエの毛髪が取り出され、その毛髪が法医学分析(PIXE:粒子線励起X線分析)にかけられた。その結果、ブラーエの毛髪からは、平常の1000倍の水銀が検出されたと言ふのである。−−更に、それから5年後の追試で、ティコ・ブラーエが死亡する13時間前にも、水銀値は上昇して居た事が確かめられたと言ふ。−−この結果、1601年のティコ・ブラーエの死が毒殺であった可能性が浮上し、様々な状況証拠から、それは、ケプラーが仕組んだ毒殺ではなかったか?と、本書は問題提起して居る。
恐ろしい本である。この研究が、チェコにおける共産主義政権の崩壊によって可能と成った物なのかどうかは知らないが、とにかく、衝撃的な内容である。又、ティコ・ブラーエの天体観測に関する記述には、他書では読んだ事の無い物が含まれており、その点でも、この本は、科学史に関心の有る読者に、大きな知的興奮を提供するに違い無い。−−この本が余り注目されて居ないのは、何故なのだろうか?
(西岡昌紀・内科医)