売国奴かヒーローか
★★★★★
ファン・メーヘレンは、自分の存在を世間に認めてもらいたかっただけなのではと、本書を読み終えて感じました。
古の巨匠に見劣りしないと自負する才能、それに対し一向に評価されない現状。
そんな中、皮肉をこめて、作り上げたのが「エマオの食事」だったのでは。
閉塞感だたよう現在のおいて、共感できる部分が非常に多いです。
例え贋作といえども、長年の研究と工夫を集大成させ、完成させるという事実に驚きました。
もっと簡単につくるものだと誤解していましたので。
単純に自分の作品をつくるよりも、何倍もの労力を必要とするのではないでしょうか。
このレベルの贋作になると、ただの贋作というよりも、一つの作品なのだなと思いました。
「たとえ贋作ビジネスに手を染めるにしても、劣ったやつの贋作はつくりません」
★★★★☆
「たとえ贋作ビジネスに手を染めるにしても、劣ったやつの贋作はつくりません」
作中で語られるこの物語の主人公ハンの台詞です。
近代画家たちの作品の模倣を軽々とできるにもかかわらず、
彼はこの言葉のとおり自分が「素晴らしい」とみとめた画家の贋作を作成し、
巨万の富を築くことになります。
はじめは、自分の腕を評価しない美術界に対してのあてつけでもあったのですが、
そのうちにただ単に金を得る手段として
次々と17世紀の巨匠達のタッチを真似て絵をかきあげるのです。
その贋作の一つがナチスに買い上げられたために、主人公ハンは
「死刑」か、「贋作を作った本人であることを明かす」か、
苦しい選択をせまられます。
主人公ハンの生い立ちから、研究した17世紀の絵画にそっくりの絵を仕上げる方法、
そして、贋作裁判
まるで作り話のように劇的な実話で
とても興味深く読みました。
カラーの絵の写真も何点か掲載されていて、主人公の作成した贋作と実際のフェルメールの作品の比較もできるとても面白い本です。
ファン・メーヘレンという「作品」
★★★★★
ファン・メーヘレンの伝記とは言え、作者はついついファン・メヘーレンの気持ちに言及してしまったり、ファン・メヘーレンに大して批判的になってみたり、逆に肩入れしてみたりと、なんだかファン・メヘーレンに翻弄されているところも含めて読み応えがありました。
これまで多くの文筆家がファン・メヘーレンの伝記を書きたくなるのも、そのつかみどころのなさかもしれません。
でも、本書から感じたのは「ファン・メヘーレンは、フェルメールになぞらえて自分の人生を『作品』として完成させたのかもしれない」ということでした。
フェルメールの作品数が把握できないように、ファン・メヘーレンの贋作数も把握できませんし、同じように毀誉褒貶の激しい人生を(フェルメールの毀誉褒貶は死後の話ですが)送っているのも、なんとなく共通性を感じられます。
ことによったら、ファン・メヘーレン自身は(たとえ本人がそれを嫌っていたにせよ)時代の空気の中で、実はダダイストだったのではないかとも思ってしまいました。ばかばかしいまでの技術の追求や享楽的な生活、世間の騒がせ方等々、作品そのものより彼の行為が芸術(というかハプニング)であるあたり、まさしくダダだなあと。
翻訳は我が国を代表するフェルメール研究家の小林頼子氏なので、実に読みやすく、また訳者後書きも作者に迎合することなく、きちんと読むべき価値のあるものになっていて、得した気持ちになれます。
ってなまじめな話は抜きにして、「ああ鑑定家や収集家じゃなくてよかったぁ。『このフェルメールは駄作だねえ』とか無責任に言ってられるもんなあ。どうせ買えないしね」などと思いながら、美術評論家がこてんぱんにやられる様を見て快哉を叫ぶも良し、同情するもよし、ファン・メヘーレンの難儀な生涯に感嘆するも良し、エンターテイメントとしてもいろいろな楽しみ方ができるので、美術好きにはお薦め。手元にフェルメール全作品集があるとなお良し、です。