ジェフリー・サックスの「貧困の終焉」との違い
★★★★☆
さてそれはさておき、運の良い事に、本書でも何度も引用されるジェフリー・サックスの「貧困の終焉」2005を同時に読みつつあった。経済学という分野にまったくの素人の自分が読んでいるのでエライ教授先生の本であれば、直ぐに真に受けて信じてしまうからだ。
この2冊の本質的な責務は同じなのである。すなわち世界から貧困をなくす事。これに異を唱える者は数少ないはずである。問題は援助の方法論とでもいえばよいだろうか。
本書では援助をプランナーとサーチャーという2者に区分して有益な援助とは何かと論じている。プランナーはここでは悪者の上から目線の立案者(多くの場合、世銀、IMFや各国の政府援助機関、当然サックスも批判される一人)と草の根的に問題分析して効率的に援助をして貧困をなくそうとするサーチャー(サーチする人)。
国連ミレニアムプロジェクトにおける責任者でもあるサックスには特に手厳しい。
備忘録的にメモしておく。
サーチャーの優れた点:フィードバックとアカウンタビリティー
政策担当者の世界は実行したいと思う援助政策に都合のよい研究結果を選んで信じるのが好き。
グラミン銀行のムハマド・ユニスはサーチャーだった。
ボトムアップの問題点:内発的な市場ベースの経済発展、その発展が貧困者に到達するまでは貧者の最も切実な要求を西側が援助で満たす。
援助機関が外部から悪い政府を良い政府に替える事がかのうだろうか?
世銀の報告書は、戦争終結までの日本が「勝った、勝った」と宣伝しているに等しい。
援助受け取りと民主主義は関連がなかった。
タンザニアの「成長産業」は官僚制度なのである(援助による政府への資金流入)
援助は医療、教育、浄水、衛生のようないくつかの部門でおおむね役立っている。
援助の主役をプランナーからサーチャーへ。援助のインプットであってアウトプットを気にしないプランナーの現実。
なんでもやろうとする幻想を捨て、個別具体的なプロジェクトに集中するべき。
MDGsなどの開発目標を集団責任方式で実施しても成功しない。
すべての援助機関がリサーチファンドを出資して、独立した調査機関を設立し、援助政策や開発政策を研究してはどうだろうか。
西欧の正しい世界を見て、自らの誤りを修正すべきだと、思い込んでいないだろうか?
IMFはユートピア的プランナーの前提に立ち経済分析によって貧しい国のすべてを理解できるという自信過剰を改めるべきだ。
プランナーが一般的な目的を揚げて成功する確率よりも、サーチャーが焦点を絞って目的を掲げて成功する確率のほうが高い、という仮説をたてている。
外部の独立した評価システムが援助効果判定に必須である。
HIV/AIDSに関して、治療薬援助と予防教育援助との割合がおかしい。予防のほうが優先度が高いはずであった。
援助を受ける側の自助も重要なポイントである(ガーナのパトリック・アウーの例を引いて)
是非とも日本の国営援助団体の皆さんにも読んでもらいたい。
J・B・クラークメダル2010受賞者、エッシャー・デュフロ教授推薦
★★★★☆
この1冊を読み終えるにはなかなかの根気が必要だろう、450ページという分量もさることながら、延々と続く現在のいわゆるビッグ・プランの無効性の具体例をこれでもかと示され、貧困が解消されていないということを嫌でも理解せざるを得ないからだ。ODAの額は第5位に落ちた日本だが、どこの国がたくさん援助した、あそこの国は少ない、といったことが取りざたされ、援助が本当に貧しい人に届いているかということは滅多に聞かない。著者が言うようにこれからも援助の分野で歴史は繰り返されるだろうが、本書がそれに対抗するきっかけになるだろう。
ぜひジェフリー・サックスの著作と本書をセットで読んで、広い視野を身につけてほしい。星4つなのは、少し冗長で、もう少し本質的なところを要約して述べたほうが読者の理解度が増すのではないかと思ったところ。