生き方に悩んだ時の一冊
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初めて読んだのは、背伸びに疲れて、劣等感にさいなまれてと人生に悩んでいた18歳の時でした。読み終わってしばらくはあまりに素晴らしい読後感に声が出ませんでした。「自分に忠実に生きる」ということと「自己満足」とは違うんだと気づかせてくれました。自分の人生に意味を見出すことは,即ち、自分が授かった使命を正しく理解し、突き進んでいくことなのだと感じました。当時の私にはすごい本でした。
おけいさんが幸せでありますように
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お話の内容も重く、ページが中々進みませんでした。人生に意味があるか、ないかと言うことよりは冲也の「こうしてはいられない」「おれはこんなことをしてはいられない」と言う焦燥感を感じることはあります。確かに自問自答、自らと語っているのでしょう。主人公の生き方を振り返ると浄瑠璃、冲也ぶしに取り付かれたような死様です。その姿は純真で、寄り添うおけいの姿もあり、救われます。ただ、どうしても酒に溺れる姿、それも癖の一つか、計り知れない因果があるのでしょう。世の規範に則して自らを律して生きることも、内なるものに突き動かされひたすら求めつづけることも、ほどほども、私が幸せでありますように。
普遍的テーマ
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この小説は浄瑠璃という特殊な世界の話であるが、
テーマは非常に普遍的であり、
おそらくオペラの作曲家の話に置き換えても、
同様な小説が書けるであろう。
世界的評価を得ている黒澤明監督が山本周五郎の作品を好んで映画化しているのも頷ける。(山本周五郎の作品があまり海外で翻訳されていないのは残念ですが・・)
周五郎文学の極北
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虚空遍歴は、山本周五郎の長編では「樅ノ木は残った」「ながい坂」と並ぶ3大長編に数えられています。これら3つの中では文芸として最も厳しい作品だと思いました。主人公の中藤冲也は、端唄の作者として市井において評価を得ていたにもかかわらず、浄瑠璃の創作に足を踏み入れていきます。例えるなら、大衆歌謡の作曲家がオペラのような音楽舞台劇に取り組むようなものでしょうか。しかし、冲也にとっては、つらいいばらの路を歩くことになります。この下巻に至っては、上方から北陸への道行きは苦闘の連続で、読んでいても辛くなってきます。小説は、この冲也の生き方を三人称でたどる一方、おけいという随伴者の独白という一人称の部分を挿入して進められます。このおけいという女性の語りから読み手は主人公の心情に手を伸ばすことができ、おけいと同じ感情を主人公に合わせることもできるわけです。この構成が読み手から作品をつなぎ止めていきます。おけいの存在は主人公以上に重要な位置を占めているように思います。周五郎文学畢生の作品と思いました。
芸術にかぎらず、結果がすべての昨今。結果を残せなかった冲也は、いまなら「負け組」と言われるのでしょうか。おけい以外の誰からも理解されず、作品の完成も見なかったその生き方は、今の読者の心にどのような読後感を残すのでしょうか。