伊達騒動の始り。原田甲斐が背負った役割は途方もなく重くつらいものであった。
★★★★☆
原田甲斐の自問自答は重くて深い。
「人は『つかのまの』そして頼みがたいよろこびの代りに、絶えまのない努力や、苦しみや悲しみを背負い、それらに耐えながら、やがて、すべてが『空しい』ということに気づくのだ。」
伊達騒動をめぐるうわさや憶測、その罠を軸に、柿崎道場、甲斐と宇乃との会話、妻律とのやり取りなどを織り交ぜ、物語はゆるやかに展開していく。
樅ノ木は黙して語らず、ただ主人公を偲ぶ人たちがいた
★★★★★
伊達騒動での逆臣が実は主家存続を図った功臣だった?!著者山本周五郎の鮮やかな筆捌きは、極悪人の烙印を押された原田甲斐の深謀遠慮、臥薪嘗胆、孤立無援、艱難辛苦を壮大に描き切る。アウトドア志向の野性味溢れる型破りな武士としてこの人物を捉える点も異色で面白い。
周りの無理解、悪評に耐え忍ぶ姿が誰かに似ていると思ったら、元赤穂藩国家老大石内蔵助の名前が脳裡に浮かんだ。だが、御家断絶後の復讐劇(「忠臣蔵」)の主人公は、見事亡君の仇討ちという本懐を遂げたことで、後世に武士の鑑との名を残し得た。親族へのお咎めも後に許される。
一方の原田甲斐はどうか。獅子身中の虫たる藩主一族の奸計に抵抗しつつ幕閣権力者に挑んだ結果、謀殺の事実を秘して乱心者の汚名を一身に引き受け倒れた。前門の虎、後門の狼からの攻撃に身をかわしながら、内憂外患の伊達藩六十二万石を護り抜き恥辱の死を迎える。累は親族に及び、原田家は断絶した。
いつの世も時の最高権力者と戦うことの無謀さは想像に余りある。敵は守りの弱点を突いてくる。敵の懐に飛び込みその奸智の上をゆく妙手を繰り出す困難さは、幾度も本書の主人公に無力感と焦燥感を強いたことだろう。対等に闘った筈の森の大鹿くびじろは唐突に猟師の鉄砲で撃たれる。これは何かの暗示なのか。
数少ない味方は病死し、もう一人は敵の策略に堪忍袋の緒を切らせた。堅忍不抜の主人公の仲間は消えた。そして、彼自身も…。北国の風雪に耐えた樅ノ木は黙して語らず、ただ原田甲斐その人を偲ぶ娘たちが確かに居たことを、手向け代わりに著者は書き記すだけだ。
原田甲斐という人物
★★★★★
「人が虎を殺そうとする場合には,人はそれをスポーツだといい,虎が人を殺そうとする場合には,人はそれを獰猛だという.罪悪と正義の区別も,まあそんなものだよ」
これは劇作家ジョージ・バーナード・ショーの言葉だ.
個人的に原田甲斐が善人であったとか,悪人であったとかそういった歴史的評価には余り興味はない.そもそも視点を変えてしまえばどうとでもなるような議論に,どれほどの意味があるのか分からない.
唯一つ言える事は,山本周五郎の描き出した原田甲斐という人物,そして彼を中心に紡ぎ出された物語は十分に感動に値するものであり,彼の生き様は落涙に値する.伊達家を守る.この誓いを守るためだけに,誰にも理解されずに孤独に戦い続ける彼の生き様をぜひ多くの人に読んでもらいたい.
静かに耳を傾ける
★★★★★
上巻は物語の背景、登場人物の性格、ものの考え方がだんだん解かってきます。何事かを成さんと、捨てて捨てて一心になるかのような原田甲斐が印象的です。作中「断章」が入れられサスペンス物のように想像が掻き立てられます。男女の機微も物語りに膨らみをもたせ、どんどん引き込まれます。どっぷりと物語に浸り、中巻にすすめます。「木はものを云うさ、・・・」風雪に耐え生き続ける「樅の木」が誰も知りえない人の心のうちを語るようです。
読み応え十分
★★★★★
前々から山本周五郎の小説を読んでみたかったので、代表作と言われている本作を読んでみた。伊達騒動において従来悪役と見られていた原田甲斐が、山本周五郎の大胆な新解釈によって、伊達家を救ったヒーローとして描かれており、(この新解釈には、異論もあるだろうが・・)しかも非常に魅力的な人物として描かれている。
読み応えのある娯楽大作という感じで、ほかの山本周五郎作品も読んでみたいと思う。