14歳の主人公(僕)は勤労奉仕に行く途中に捕えられアウシュビッツへと送られるのですが、そこで3日間「奇妙な待機と退屈」な時間を過ごした後、ブーヘンヴァルト、ツァイツと収容所を転々とします。移送は彼に様々な出会いをもたらしますが、特にツァイトで知り合うツィトロム・バンディの「自分を見失わないことが大事だし、どうにもならなかったことなんて今まで一度もなかった」という言葉は、主人公にとっての「囚人生活に欠かせない知識」となります。しかし、彼にとって収容所生活は依然退屈らしく、「家にいるある一日を、朝から晩まですっかり想像すること」で時を過ごします。
やがてひざの痛みから入院した病院で終戦を迎え、帰郷します。列車から降りた直後、アウシュビッツの地獄を聞きたがる記者に出会いますが、彼は「時間」の概念を持ち出し説明します。「すべてが理解できるまで、人は何もしないでじっとしているわけではなく、すぐに新しいことに取りかかり、生き、行動し、動き、新しい段階ごとに新しく要求されるあらゆることをやり遂げようとする」と。その後、生家に戻った彼を待っていたのは、別の収容所に送られた父の死、継母の再婚、実家の喪失でした。それらを教えてくれた古い隣人は彼に過去を捨てるように言いますが、彼は「もしすべてが運命でしかないなら、自由などありえない、その逆に、もし自由というものがあるなら、運命はない」と言い、冒頭の「運命とは僕たち自身なのだ」と続けます。そして独り街に出る彼の目の前には、真の自由と幸福が、茜色の空とともに輝いている。苦悩から生まれる希望の名著です。
14歳の主人公(僕)は勤労奉仕に行く途中に捕えられアウシュビッツへと送られるのですが、そこで3日間「奇妙な待機と退屈」な時間を過ごした後、ブーヘンヴァルト、ツァイツと収容所を転々とします。移送は彼に様々な出会いをもたらしますが、特にツァイトで知り合うツィトロム・バンディの「自分を見失わないことが大事だし、どうにもならなかったことなんて今まで一度もなかった」という言葉は、主人公にとっての「囚人生活に欠かせない知識」となります。しかし、彼にとって収容所生活は依然退屈らしく、「家にいるある一日を、朝から晩まですっかり想像すること」で時を過ごします。
やがてひざの痛みから入院した病院で終戦を迎え、帰郷します。列車から降りた直後、アウシュビッツの地獄を聞きたがる記者に出会いますが、彼は「時間」の概念を持ち出し説明します。「すべてが理解できるまで、人は何もしないでじっとしているわけではなく、すぐに新しいことに取りかかり、生き、行動し、動き、新しい段階ごとに新しく要求されるあらゆることをやり遂げようとする」と。その後、生家に戻った彼を待っていたのは、別の収容所に送られた父の死、継母の再婚、実家の喪失でした。それらを教えてくれた古い隣人は彼に過去を捨てるように言いますが、彼は「もしすべてが運命でしかないなら、自由などありえない、その逆に、もし自由というものがあるなら、運命はない」と言い、冒頭の「運命とは僕たち自身なのだ」と続けます。そして独り街に出る彼の目の前には、真の自由と幸福が、茜色の空とともに輝いている。苦悩から生まれる希望の名著です。
ユダヤ人の悲惨な歴史を難しくなく知ることができる一冊。でも、その悲惨さを伝える少年の語りの中にある、少年の鋭く素朴な思いを感じる。