インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

運命ではなく

価格: ¥1,995
カテゴリ: 単行本
ブランド: 国書刊行会
Amazon.co.jpで確認
おそろしいだけが戦争じゃない ★★★★☆
終戦記念日の前後、テレビは、かの戦争を記録したモノクロの映像であふれかえる。ヒトラー、パールハーバー、原爆投下。今年も目にしてみて、それらの映像について他人と語ったことは意外とないなあと思った。だから他人がそういう記録についてどんな印象を持っているのかわたしは知らない。見て嫌な気分になるのか、それとも目が離せなくなるのか。わたしは後者だ。二度と繰り返さないために、という教訓としての意味合いは当然だけど、怖いもの見たさという気持ちもやっぱりある。バイオハザードをきゃーきゃー言いながらプレイする感覚。日常とはあまりにかけ離れてるからこそ見れるもの。本当にあった怖い話。

こんな風に感じてしまうのはとても嫌だなあと思うけど見てしまう。戦争を記録したものはみんな「怖いもの」。たとえば沖縄戦の写真、早乙女勝元の絵本、『夜と霧』の凄み。だから、『運命ではなく』の怖くなささは最初、異様に思えた。ノーベル賞作家が自身の体験を元にして描くナチス強制収容所体験。でも、おどろおどろしいあらすじとは別に、主人公の少年は一貫してとてもクール。囚人生活を送っていても、自分のことをまるでお客さんのように感じる。仲間たちも、丸坊主になったお互いをからかい合っている。「僕にとってはすべてがまるで冗談のような、言ってみれば学生のいたずらのように思われた。」「奇妙な待機と退屈、それが僕にとってのアウシュヴィッツの印象だった。」ナチス強制収容所の生活が、デタッチメントの視点で描写される。この本に限って言えば、わたしが戦争の記録につきものだと思っていた「怖さ」とは無縁だ。

思い出したのは、以前読んだ男の子のための軍隊学習のススメ (ちくまプリマー新書)』。日本軍の兵士が皆、確固としたイデオロギーを抱えて、苦しみながら死んでいったわけではない。反戦と好戦、どちらでもないところにほとんどの兵士は属していた。戦後生まれの女性がそんな風に日本軍を語る、思えばあれも全く怖くない戦争本だった。

戦争はおそろしいものだけど、おそろしいだけが戦争じゃない、たぶん。「怖い」以外のいろんな側面もある。でもほとんどのそれは、たくさんの命と一緒に見えなくなった。いろんな人の、恐怖以外の感情も、根こそぎ無いものにしてしまった。戦争の本当の「怖さ」は、スプラッタ的な残酷さではなく、この「一掃感」にあるんじゃないか。

かろうじて生還した少年の言葉。「だって、まだあそこ(※引用者注 強制収容所)にいた時ですら、煙突のそばにだって、苦悩と苦悩の間には、幸福に似た何かがあったのだから。僕にとっては思い出として、たぶんその体験がいちばん深く残ったものなのに、誰もが嫌な出来事や<恐ろしいこと>しか訊ねてくれない。そうだ、いずれ次の機会に誰かに質問されたら、そのこと、強制収容所における幸せについて、話す必要がある。」

強制収容所における幸せ。戦争における幸せ。それもまた、なかったことにされてしまった、戦争の犠牲者だ。(by ちゅら@<おとなの社会科>)
当然だけど。 ★★★★☆
1929年ハンガリー生まれの著者が自らのナチス強制収容所の体験をもとに
描いた自伝的小説です。
戦時下のブダペシュトで主人公の少年はそれとは知らず「ユダヤ人狩り」に遭います。
それも「勤労奉仕」に向上へ向かう最中。

作業場の少年仲間達と収容所へと移送され、一番最初に正と死を分かつ健康診断も
深く意識せずにくぐり抜け、過酷な現実にも淡々と対応しているように見えます。
様々な行動や選択を迫られた時に少年がとった態度の後に必ず出る言葉は
「当然だけど。」。

その追い詰められた状況で発せられる諦めにも似た言葉が、私達は「自分なら
どうしたのだろうか」と問いかけられている気がします。結局は当然だけれども、
そうする以外は方法はなかったのだと言わざるをえません。

収容所の中では当然であること、つまり、お腹を空かせ、殴られたりすることなどが、
当然と思える少年にとっては、異常なはずの収容所の存在も当然に見えたのかも
しれません。

少年は過去を単に運命として片付けてしまうことを頑なに拒否し、また過去を
忘却しようとするのではなく、今後も考え続け、時間とともに前へ進むことに
価値を見出していきます。

そんな彼の救いは、時間である、と言っています。すべては時間の進むとおりに
起こり、目の前にあることに対応するうちに、全てのことは徐々に明らかにされた。
しかしながら全てのことは、自分で進めるだけ段階を踏んで進んできた結果なのだ、と。

少年の自分を見失わずに生き抜く姿は、戦時の極限で求められるものだけではなく、
常に考え続ける必要があるということを私達に訴えている気がします。
希望の著 ★★★★★
 読後、これほどの解放感を味わわせてくれた作品は初めてです。それは強制収容所から故郷に戻った主人公の「運命とは僕たち自身なのだ」という言葉に象徴される神なき時代の希望がこの著に溢れているからだと思います。

14歳の主人公(僕)は勤労奉仕に行く途中に捕えられアウシュビッツへと送られるのですが、そこで3日間「奇妙な待機と退屈」な時間を過ごした後、ブーヘンヴァルト、ツァイツと収容所を転々とします。移送は彼に様々な出会いをもたらしますが、特にツァイトで知り合うツィトロム・バンディの「自分を見失わないことが大事だし、どうにもならなかったことなんて今まで一度もなかった」という言葉は、主人公にとっての「囚人生活に欠かせない知識」となります。しかし、彼にとって収容所生活は依然退屈らしく、「家にいるある一日を、朝から晩まですっかり想像すること」で時を過ごします。

やがてひざの痛みから入院した病院で終戦を迎え、帰郷します。列車から降りた直後、アウシュビッツの地獄を聞きたがる記者に出会いますが、彼は「時間」の概念を持ち出し説明します。「すべてが理解できるまで、人は何もしないでじっとしているわけではなく、すぐに新しいことに取りかかり、生き、行動し、動き、新しい段階ごとに新しく要求されるあらゆることをやり遂げようとする」と。その後、生家に戻った彼を待っていたのは、別の収容所に送られた父の死、継母の再婚、実家の喪失でした。それらを教えてくれた古い隣人は彼に過去を捨てるように言いますが、彼は「もしすべてが運命でしかないなら、自由などありえない、その逆に、もし自由というものがあるなら、運命はない」と言い、冒頭の「運命とは僕たち自身なのだ」と続けます。そして独り街に出る彼の目の前には、真の自由と幸福が、茜色の空とともに輝いている。苦悩から生まれる希望の名著です。

希望の名著 ★★★★★
読後、これほどの解放感を味わわせてくれた作品は初めてです。それは強制収容所から故郷に戻った主人公の「運命とは僕たち自身なのだ」という言葉に象徴される神なき時代の希望がこの著に溢れているからだと思います。

14歳の主人公(僕)は勤労奉仕に行く途中に捕えられアウシュビッツへと送られるのですが、そこで3日間「奇妙な待機と退屈」な時間を過ごした後、ブーヘンヴァルト、ツァイツと収容所を転々とします。移送は彼に様々な出会いをもたらしますが、特にツァイトで知り合うツィトロム・バンディの「自分を見失わないことが大事だし、どうにもならなかったことなんて今まで一度もなかった」という言葉は、主人公にとっての「囚人生活に欠かせない知識」となります。しかし、彼にとって収容所生活は依然退屈らしく、「家にいるある一日を、朝から晩まですっかり想像すること」で時を過ごします。

やがてひざの痛みから入院した病院で終戦を迎え、帰郷します。列車から降りた直後、アウシュビッツの地獄を聞きたがる記者に出会いますが、彼は「時間」の概念を持ち出し説明します。「すべてが理解できるまで、人は何もしないでじっとしているわけではなく、すぐに新しいことに取りかかり、生き、行動し、動き、新しい段階ごとに新しく要求されるあらゆることをやり遂げようとする」と。その後、生家に戻った彼を待っていたのは、別の収容所に送られた父の死、継母の再婚、実家の喪失でした。それらを教えてくれた古い隣人は彼に過去を捨てるように言いますが、彼は「もしすべてが運命でしかないなら、自由などありえない、その逆に、もし自由というものがあるなら、運命はない」と言い、冒頭の「運命とは僕たち自身なのだ」と続けます。そして独り街に出る彼の目の前には、真の自由と幸福が、茜色の空とともに輝いている。苦悩から生まれる希望の名著です。

私の生きる道 ★★★★☆
この本はユダヤ人の迫害・強制収容所の話だけれど、主人公の少年の思いは、今でも、そして誰にでも心に染みわたる。少年が強制収容所生活の中で感じる様々な思いは、強制収容所という地獄にいたから生まれたのではなく、自分の力で運命を「生き抜いてく」ことから生まれている。だから読んだ後も、昔の遠い国で起こった悲しい出来事という感じがしなかった。

ユダヤ人の悲惨な歴史を難しくなく知ることができる一冊。でも、その悲惨さを伝える少年の語りの中にある、少年の鋭く素朴な思いを感じる。