愛神愛隣
★★★★★
レヴィナス自身が編集に携わった最後の論集。序文を書いたピエール・アヤが「レヴィナスの実験室」と表現しているように、「全体性と全体化」及び「無限」では主著『全体性と無限』の鍵概念がどのような哲学史的淵源を持ち、また思想史的系譜の中にレヴィナスの言葉をどう位置づけられるか、その手掛かりを記しています。
2章「対話の哲学と第一哲学」では、マルティン・ブーバーの『社会主義とユートピア』フランス語版の序文や、「私」「きみ」「神」という語についてブーバーに敬意を表しつつ、倫理的関係においては相互性ではなく、「私」と「あなた」の非対称的関係が構築されることを述べます。
「他者の近さ」という対談では、責任や配分的正義の考え方などレヴィナス哲学の主要テーマが語られます。本書全体においても、「他者と共に平和裡に生きるとはいかなることか」というレヴィナスの終生のテーマが、驚くほどの思想的高度に引き上げられて論じられています。
本来、ユダヤ教に源を持つ「隣人愛」(レビ記19章18節)については、人間の人間性がどのように基礎づけられるかを抑えた筆致で述べ、語る。もちろん、ユダヤ−キリスト教の友愛への眼差しを忘れることはできない。レヴィナスがキリスト者に向ける感謝の念は変わらない。
私が特に関心を惹かれたのは「対話を超えて」で言及されている「ゼーリスベルクの十箇条」です。これはキリスト教徒を宛先として、反セム主義に反対する国際会議で1947年に採択された文書です。キリスト教会で貶下的に語られてきたユダヤ人・ユダヤ教について、事実に基づいて適切に語るようにキリスト教徒に懇請しています。
反ユダヤ主義は20世紀の半ばに一つの頂点に達した。その傷跡癒えぬ時期にこうした文書を採択し、他責的な語法でキリスト教徒の責任を難詰するのではなく、「どうか適切な理解を持ってほしい」と懇請する姿勢に、一人の信仰者として敬意を抱かざるを得ない。