未だに記憶に残る
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これをみたときは まだ子供であったにもかかわらず、いまだになぜか印象として残っています。ただ、当時の記憶として意外に視聴率は取れなかったのではなかったのかな。私自身は 非常に好きで、毎回熱心に見ていたので、あとで視聴率が低いと知って、「えっ!」と思ったような感じがする。おそらく、そのとき初めて自分の好きなのと 視聴率というものが合致しないことを経験したかもしれない。 要は、視聴率の高いものがいい作品とは限らない。また、低いからといって、ダメな作品とは限らない。視聴率が低くても、この作品のように後世に名を残すものがあるということです。
今は、こういう作品が作れなくなってしまった。 当事は、歴史時代劇は 暗く作るのが作法だったような感じがする。 とくに、幕末物は暗く作った。いまは、幕末物でも明るく作る。大河ドラマを見てください。明るく作らないと視聴率が取れないからだ。とくに女性に見てもらえない、暗く作ると。
明るい幕末、明るい新撰組、 笑えるな。
リアリズムを追究した殺陣
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『新選組血風録』の殺陣を担当した上野隆三は、こう述べている。「(立ち回りというのは)殺し合いなんだから、刀をチャンチャン合わせるなんて、そんな馬鹿なことないんだから、生きるか死ぬかの戦いでしょ。それで、様式美から脱皮しようと、僕は色々やってきたんです。」池田屋のシーンについて、「(スケールが大きくて、劇場用映画を見ているように見えるのは)発想が映画なんですよ。映画からきた監督さんだから。みんな感覚的には映画感覚なんです。それと、オープンじゃなくて、祇園町とか新橋、高瀬川とか走りまわれたから、あのころは外で全部やれて条件がよかったですね。」(黒須洋子著「新選組血風録の世界」より)踊りを踊るような、美しい立ち回りは多くある。刀を、ビニール製の玩具のように軽々と扱っている立ち回りもよく見かける。しかし本来、立ち回りは殺し合いだ。美しいはずがない。『血風録』の立ち回りは、まさに「生きるか死ぬか」の文字通り必死の殺し合いをみせる。記録映画のようだ、という感想を見かけたことがあるが、言いえて妙である。
「第7話 菊一文字」 700年生きてきた名刀菊一文字を慈しむ沖田。後の沖田の死への伏線となっていく。日野を演じているのは、野々村潔。岩下志麻の父だそうだ。優しく沖田を見守る眼差し。心に残る名演技である。そして最後の栗塚旭のナレーションが、話全体を引き締め、沖田の人間像を際立たせる。心に深く響く名ナレーション。
「第8話 長州の間者」 原作の見事な映像化。最後に用意された劇的な人間模様。
「第9話 池田屋騒動異聞」 赤穂事件に端を発した山崎と大高の確執。封建社会の残酷さがひしひしと伝わる。迫力の殺陣に目を奪われる。
「第10話 刺客」 人斬りと怖れられた大石鍬次郎の有能な隊士としての側面を描く。冷静沈着な土方の上司としての技量に感服する。サスペンスタッチの面白さ。
見れば見るほど味が出る
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最初、白黒だし、お金出してまでこの作品を見る気はしていなかったのですが、「新選組ものであればコレ!」といろんなホームページで言われているのを見て、だまされたと思って購入したのがこの第一巻でしたが、それから早、三巻目を迷わず購入していました。というか、先のものまで予約しています。新選組ファンのみならず、一つの作品としても完成度が高く、当時の制作陣の意気込みが色褪せることなく伝わってきます。映画の時代からテレビの時代への過渡期に出来たこの作品であると認識しながら見ると、昭和40年当時の京都に思いを馳せることができます。そういう意味ではディープな京都ファンも一見の価値があります。それにしても、第三巻「菊一文字」の沖田総司は本当に司馬遼太郎氏の原作をビジュアルかしたものとであるといえます。島田順司氏ははぐれ刑事の課長というイメージしかありませんでしたが、「島田」総司支持派の方々が言うとおり、同氏の総司が最も司馬版沖田総司を忠実に表しているのでしょう。まだ躊躇されている方は、だまされたと思って一度見てみると良いと思います。一つの作品として。