日本人には難しすぎるテーマ
★★★★☆
ユーゴだけではないですが、民族紛争は単一民族である日本人には極めて理解する事が
難しい。なにしろセルビア人とかクロアチア人とか言っていますが、生物学上は皆「ス
ラブ人」で見た目の違いは殆ど無く、登録上の民族が違う、と言うだけで血みどろの
殺し合いをしてしまう訳ですから。。。
本書は民族紛争まっただ中のユーゴを著者が文字通り駆け抜けた渾身の書です。何故
そこまでユーゴに拘るのか、と聞きたくなるくらいの著者のエネルギーは凄まじさを
感じます。
ただ、著者の思い入れが強いが故に「読みにくい」部分は多々見受けられます。恐らく
背景としてユーゴ紛争がどのような経緯で起こり、どのような末路をたどったのかを
全く知らずに読んでも、この本の本当の価値は分からないと思う。ユーゴ紛争の背景は
「わかっている」と言う前提で書かれているが故と思う(私はちょっと前に同じユーゴ
紛争を扱った「戦争広告代理店」と言う本を読んでいたのである程度は理解できました。
こちらの書はセルビア側から書いてある本書と違い、対立するボスニア側から書かれた
もので、二冊まとめて読むと非常に面白いと思います)
また、著者の文面も激情がほとばしり、熱い反面ちょっと度の過ぎる表現(例えば空爆を
決めたNATOを100%の悪者と決めつけ罵倒するところなど)も目立ち、その後の「オシム
の言葉」などと比べると「読みやすさ」「読後感」と言う点では若干マイナスかと。
ただ多くの方も指摘している通り、単なるサッカーの本ではなく、国際政治や民族について
も学べる本です。一読をお勧めします。
サッカーを切り口とした世紀末ユーゴ情勢ルポ
★★★★☆
ユーゴスラビアサッカー戦記とある。
が、むしろサッカーを切り口とした世紀末ユーゴ情勢ルポというべきだろう。
世紀末とは1998年〜1999年。仏W杯前からユーゴ代表が欧州選手権への出場権を手にするまで、である。
下敷きには90年代の旧ユーゴ崩壊と国際社会からの孤立があり、ユーゴ連邦を構成していた諸民族間の対立がある。
そして世紀末に起こったトピックとして、NATOによる新ユーゴへの空爆(1999年)がある。
この複雑極まりない状況のもとでバルカン(旧ユーゴ全域をとりあえずこう呼ぼう)のフットボーラーたちは何を思い、どのように行動してきたか。
著者の軸足はピクシーことストイコビッチの出自たるセルビア=新ユーゴに置かれている。
しかし、舞台はセルビアにとどまらず、クロアチア、マケドニア、モンテネグロ、コソボへと転じ、行く先々で出会うフットボーラーを通じて、諸民族の視点からバルカン情勢が語られる。
例えば、セルビア人から見たコソボ紛争とアルバニア人から見たコソボ紛争。それぞれの目にはまるで異なる像が結ばれている。
セルビアへの熱い想いを持つ著者は、そうした異なる視点に出会うたびに混乱し懊悩する。
同じ章の中に様々な視点からの叙述が交錯し、タッチも距離をおいて描写したかと思えばいきなり感情移入たっぷりのコトバが飛び出してくる。
著者の当惑が読者をも惑わせる。
著者が繰り返し論じているのは、つまるところスポーツと政治とメディア。
スポーツと政治が関連付けられないわけにはいかないバルカンの情勢。
メディアごとの立場(政治的、経済的)によって生じる情報の差異。その結果生まれる人々の認識の落差。メディアの脅威と限界。
サッカーというものをツールにして、そんなことどもを考えさせられる僕たちは、そしてそんなことを考えるツールにされちゃうサッカーってモノは、果たしてシアワセなんだろーか。
少なくともバルカンの人々よりはシアワセなんだろーな
ユーゴスラビアと呼ばれることすら現地の人は嫌がっている
★★★★★
「オシムの言葉」等、旧ユーゴスラビアとサッカーを知りたいなら間違いなく木村元彦さんの本を読むべきだと私は思う。また、別の作品も読んでみたいと思う。
本書は1999年の「NATOによる空爆は何も解決できないどころか悪でしかなかった」ということを、住人やサッカー選手の立場から教えてくれる貴重な記録だ。
また、よく言われる「政治とスポーツは一緒にしてはいけない」という言葉は無意味とも思えてしまうほど、ストイコビッチをはじめ、アマチュア選手からサッカー協会までに接触して個人単位のリアルな姿を紹介してくれている。
この著を読むことは歴史というものが一人一人の人間の微々たる行動に集合により動かされ、またいかにテレビや新聞の報道がプロパガンダ(オシムがよく使う言葉)なのかということがよくわかる。そして何より当人同士の争いは他人が介入して本当に解決できるものではないということを教えてくれている。
私はこの著を歴史を教える学校の先生に是非読んでもらいたいと思う。もちろん公務員の仕事なので授業の仕方はある程度決まっていると思うが、できれば教科書を読んだ後にこういうことを話してあげて欲しいと思う。でも、今の先生の立場では「進学のため以外の余計なこと」としてPTAと教育委員会から弾圧されてしまうだろう。だが、それ自体が愚かだということを子供に教えてあげるべきだと私は思う。
民族自決とは何か?
★★★★★
『オシムの言葉』から、ユーゴスラビア崩壊に興味を持って、木村元彦をもう一冊。
ユーゴスラビアサッカーに魅せられた著者が、ユーゴスラビアの崩壊と、そのプレーヤーを初めとするサッカー界への影響を、現地に何度も足を運んで見続けたドキュメントだ。どうしようもない歴史に押し流される人々。話に引きつけられる。
『オシムの言葉』に少し触れられていた民族主義の暴走が、本書では克明に追われている。紛争の始まりには独立に積極的でなかった人が、紛争が進むに連れて強烈な民族主義的発言をするようになるのは恐ろしいことである。それは対立を煽るテロ組織を勢いづかせて、紛争の解決を不可能とする。独裁者が勝手に戦争を起こすのではなく、衆愚が戦争を起こすのだ。そして、大衆はほぼいつでも衆愚なのだ。
民族自決は良いことだというのが現在の常識だが、そうしてどんどん細かくなっていったのがユーゴスラビアの崩壊だ。民族自決ったって、どの範囲を民族と言うかを突き詰めていくといくらでも細かくなる可能性がある。ベオグラードのサッカーチームのサポータ間の仲の悪さも有名だそうで、ま、これも宗教の信者間の対立みたいなものだし、共和国対立からここまで細かい分裂まで“民族”の定義って連続なのだと思う。私は関西で生まれ育った人間だが、最近の2チャンネルの書き込みの中の関西人に対する露骨な差別発言などを見ていると、「お国びいき」極めて偏狭なものに簡単になることに戦慄を覚えて、ユーゴスラビアの歴史が人ごとには思えなくなる。
ユーゴスラビアの人名や地名が大量に出てきて、全然覚えられなかったのだが、それもあまり欠点になっていない。文章も読みやすく力がある。大変お薦め。
ユーゴサッカー戦記というよりもユーゴ現代史という感じです
★★★★★
ユーゴスラビア代表、ユーゴリーグ等のユーゴサッカーに関する取材を続けながら、ユーゴスラビアで起こっている出来事について書かれてあります。
特にこの時代のバルカン半島で混乱している様子がよく取材してあり、現地の生の声が分かります。
空爆当時のユーゴスラビアの様子などよく取材されています。
また、メディアの報道と戦争というものについても考えさせされました。
空爆当時のユーゴスラビアで何が起きていたのか、住民はどんな思いだったのかということが伝わってきました。
また、政治に巻き込まれることになったサッカー選手たちの話も考えさせられるものでした。