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終わらぬ「民族浄化」 セルビア・モンテネグロ (集英社新書)

価格: ¥735
カテゴリ: 新書
ブランド: 集英社
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路線の行き詰まりを感じた ★★★☆☆
木村元彦は事態は改善していないことを訴え、日本人がユーゴスラビア紛争を忘れないように本書を書いたのだろう。ただ、本書の内容の基本的な構図は『悪者見参』あたりで見られるものから変化していない。もちろん、コソボ独立に伴って起きたことは、クロアチア独立ともボスニア紛争とも違うだろう。しかし、読者から見ると役者が替わっただけの同じ芝居である。

こんな書き方をすると、渦中に居る人は芝居をやっている役者じゃなくて、命がかかっているのだと著者は怒るだろう。しかし、そのような場面に直面している人は、ユーゴスラビアだけでなく、ほかにも沢山いる。著者がユーゴへの思いと同じくらい、他地域への思いをもった人も居る。そこで、ユーゴに注目しつづけるべきだと説得するには、もう一つ何かがいる。

この手の民族紛争に国際社会が介入した例は数多い。ユーゴスラビア紛争と似た構図の例としてもキプロス紛争をすぐに思いつく。この辺と比較するなりなんなり、もう少し違う視点が欲しかった。すごくいい取材をしているとは思うのだが、路線の行き詰まりを強く感じた。
現地の様子が伝わってきます ★★★★★
著者が直接現地に向かい取材しています。
現地の様子が伝わってくるような臨場感を感じます。
他民族が共存する難しさについて、また戦争というものの悲惨さについて改めて考えさせられました。
旧ユーゴ地方の現状について書かれており、現地の生の声というのが伝わってきました。
現在の世界情勢の見方が変わりました。
丹念な取材 ★★★★☆
いろいろな民族がひしめき合う困難さが、丹念な取材の中で浮かび上がっています。良著といえるでしょう。ただ、チトーの評価をもっと入れてほしかったが、そうすると少し種類の違う本になってしまうか。
著者は、おそらく日本で唯一ユーゴ内戦を語る資格を有するライターである ★★★★★
まえがきにもあるが、現地取材主義という著者の主張に基づいて書かれたルポである。だから、この作品は新書にも拘わらず、バルカンの歴史等は殆ど記されていない。私はこれを「歴史も重要だが、もっと重要なのは今この国では何が起こっているのかを公平・正確に伝えることだ」という彼の主張だと思っている。

といって、彼がバルカンの歴史を知らないのではない。著者には「誇り」「悪者見参」「オシムの言葉」という作品がある。これらは、旧ユーゴサッカーのサッカー選手(監督)が題材とはなってはいるが、旧ユーゴの内戦をルポした優れた作品である。この中で彼はあらゆる民族のあらゆる人々に対して取材しているのだが、それはバルカンの歴史を認識していないとできないことだ。

『民族浄化』という言葉は、ボスニア内戦時に、ボスニア・ヘルツェゴビナのメディア戦略を請け負ったアメリカのPR会社が最初に使用したものである。意味は『ホロコースト』と同じである。そして、この言葉を欧米(特に米)のメディアが繰り返し使用することで、セルビア=悪者というイメージが一般的に広まったのである。

’99年のNATO(アメリカ)空爆によって終結したとされる、コソボ紛争後の旧ユーゴ(コソボ)の状況をルポしたこの作品で、著者はセルビア系住民に対してなされていることは報復ではなく新たな『民族浄化』であると記している。

誰もが加害者であり誰もが被害者であるはずのユーゴ『内戦』に、ある思惑(付属文書B.興味のある方は調べてみてください)をもって『人道』介入をしたアメリカ、「戦争広告代理店(著者はNHKディレクター!)」という作品を読めばわかるが、PR会社の戦略に乗せられて間違った報道をし続けたばかりか、空爆終了後は手のひらを返したように沈黙したメディア。彼らの行為がどんな悲劇をもたらしたのか。著者の作品にはそれが書かれている。
セルビアとコソボ ★★★★★
旧ユーゴスラビアの内戦ではセルビアは常に悪者であった。
それはクロアチアが情報戦争に勝利し、セルビアに悪のレッテルを貼り付ける事に成功したからであるということは今ではよく知られている。
クロアチアとセルビアの内戦が終わった後もセルビアの悪のレッテルは貼られたままである。そして、コソボの内乱。支配者であったセルビアと解放を求めるコソボのアルバニア人。悪であったセルビアがさらなる悪となり、コソボのアルバニア人が英雄となるにはさほどの時間はかからなかった。

著者はセルビア側、アルバニア側それぞれの対象に直に調査し、自分の目で現状を見つめ、どちらにも肩入れする事のない中立的な視点からこの書を書き上げた。「セルビアも被害者だ」と声高に主張するだけではお互いの罪状を相殺するだけの結果となる。KLAがマフィアと深い関係にあった事やセルビア人もアルバニア人もそれぞれ虐殺を行った事なども広く知られるようになった現在でも、アルバニア人はなぜか正義の側にある。それは内乱に至った経緯やNATOとの関係など複雑な情勢のなかで作り上げあられたものである。

よく取材し、また対象に幻惑されることなく、コソボを巡る現状を淡々とした筆致で記している。付け加えるとすれば、旧ユーゴスラビアの歴史的な事実への考察と論及が少ないところか。アルバニアがユーゴと別れて独立した事や、ユーゴとアルバニアがそれぞれ独自路線を採った事、クロアチア人であったチトーとセルビア人との連邦内における関係などもコソボの歴史的経緯や現状に大きく関わっている。そもそもなぜコソボがユーゴスラビアでそのように位置にあったのかということへの論及がなければなかなかセルビア人との関係が理解しづらいのではいかと気になった。