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「民族浄化」を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から (岩波新書 新赤版 (973))

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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民族浄化について ★★★★☆
旧ユーゴ紛争の当事者、民族浄化の被害者の証言をいくつか載せており、参考になった。
また、司法の立場から見た「戦争犯罪」へのアプローチ、政治家が主に宣伝によって民衆意識を誘導し、他民族への虐殺を認めさせた経緯などが客観的に描写されており、かなり読みごたえがあった。
ICTY(旧ユーゴ戦犯法廷)、ICC(国際刑事裁判所)の今後についての言及もなかなかおもしろかった。
入門書としてはいいが… ★★★☆☆
筆者は旧ユーゴ国際刑事裁所の判事であったことから
ある程度セルビアに批判的になるのは仕方ないが、
本書を読むとどうしても、「ミロシェビッチが全面的に悪い」
と読めてしまう。
もちろん彼は、非難されるべきであるが、民族主義を掲げて台頭した
点を考慮するなら、その他のトゥジマン(クロアチア民主同盟党首で
のちにクロアチア大統領就任)や、イゼトベコビッチ(ボスニア
民主行動党党首でのちにボスニア大統領就任)と同程度の悪であった。
特に、イゼトベコビッチは、欧米によって形成されたムスリム被害者論を利用し
必要以上に自らの主張を貫こうとして、結果的に和平が遠のいた。

ミロシェビッチが、何故に欧米からの悪玉論の主役を務めることになったかについては、
『戦争広告代理店』高木徹 講談社文庫 を読んでほしいが、クロアチア戦争について
連邦の立場から離れ、ユーゴ人民軍を送りこみ、クロアチア内のセルビア人を保護しようとした
点が、欧米のセルビア悪玉論を決定づけたのだろう。所詮、ミロシェビッチは民族主義を
煽ることでトップに上りつけたのであり、その点を理解しないと彼の行動は理解できない。
その点で、この本だけでは、欧米の論理の受け売りに過ぎず、不十分である。
この内戦を象徴する言葉である「民族浄化(ethnic cleansing)」の使い方に疑問はあるが… ★★★★★
私は旧ユーゴ関連の本を結構読んだのだが、内戦の「概要」についてはこの本が最もわかりやすかった。

著者は旧ユーゴ国際刑事裁判所の判事として、実際に戦争犯罪人を裁く立場にあった人物である。この作品は、著者が担当した事件に依拠したために、セルビア人勢力が行った「民族浄化」の実態が中心となっており、クロアチア人等が行った「民族浄化」に関しては触れる程度であるが、著者の内戦に対する評価は単純に「セルビア=悪」ではない。第5章等ではセルビア人が行った「民族浄化」と逆の構図もあったと強調している。当たり前かもしれないが内戦の評価や司法の限界に対する考察も含め冷静な視点で書かれている。

ボスニア内戦時に使用され始め、セルビア人勢力の残虐行為を象徴する言葉となった「民族浄化」。これは、ボスニア内戦においてボスニアの広報活動を請け負ったアメリカの広告会社が考案した言葉であるが、言葉の持つ意味はホロコーストと同じである。ホロコーストという言葉を用いることによるユダヤ人社会への悪影響を避けるために、それにかわる「民族浄化」という言葉を使用したのである。

結果的にこの言葉が「セルビア=悪者」というイメージを植えつけることになったのであるが、本書でも「民族浄化」という言葉はセルビア人の行った行為にのみ使用されている。

著者はこの作品がセルビア側の「民族浄化」が中心になっているので意図的にそうしたのかもしれないが、単純にセルビアだけが「民族浄化」を行ったと誤解されかねないので、前段でその理由をきちんと説明すべきであったと感じた。

なお、内戦の歴史的背景については「ユーゴスラヴィア現代史(柴宜弘)」等で、庶民はどうなったのかについては「木村元彦」の一連のルポで、メディアの罪については「戦争広告代理店(高木徹)」で知ることが出来る。
ユーゴスラビアの「分解」はどうすすんだのか? ★★★★☆
旧ユーゴ戦犯法廷について解説した書ですが、この本を読むとあのユーゴスラビアがどのようにして「分解」していったのか、その過程でどんな悲惨な出来事があったのかがよくわかります。
第1章の「旧ユーゴ戦犯法廷とは何か」は、裁判の知識のないものにはわかりにくい内容ですが、第2章「ボスニア紛争への道」以降、旧ユーゴの民族構成や民族間の紛争、それがどうやって「民族浄化」(いいかえれば他民族抹殺)にまで行き着いてしまったのか、そこへ国際社会はどう関与したのか、という点について非常にわかりやすく述べられています。
オリンピックの開かれたサラエボの街がNATOの空爆で破壊されてしまったことやコソボの空爆など断片的に記憶に残っている方も多いと思います。あの事態は何だったのか、ようやく理解できました。
「民族浄化」の歴史 ★★★★☆
 一連のユーゴ紛争の流れがつかめるようになっています。
気になったのは多谷女史の「狭い」歴史観です。
彼女はユーゴ紛争で起きた多くの凄惨な虐殺事件を知り、
それはアウシュビッツのユダヤ人の虐殺と同じであると述べています。
確かに彼女の指摘は正しいのですが、間から何かがこぼれていました。
それは第二次対戦中ポーランド人とウクライナ人は同じ共同体内で
虐殺事件を互いに起こしていたということです。
そして結果として冷戦後中・東欧では凄惨な虐殺事件は起きませんでした。
つまり、中・東欧ではあらかじめ虐殺事件が完了していたので
ユーゴのような血で染まった民族紛争は起きなかったのです。
したがって、ユーゴの虐殺という悲劇のモデルは
ナチス以外にもあったといえます。
そしてユーゴのような悲劇がこれからも起きる可能性があるということも示しています。
多谷女史には世界史的な「広い」歴史観を持っていただきたいです。