生きる上での必読の書
★★★★★
「自分が奴隷だと気付いた者はもう奴隷ではない」といいますが、
自分自身、つい最近まで現在の貨幣制度、銀行、利子というごく当たり前に
存在していたもの(常識)に対して、なんの疑いを持つことも無く、生きてきました。
エンデの底知れない優しさ、そして誰も今のこの仕組みに気付かないやるせなさ、
そういったものが本を通して伝わってきます。
しかし、生まれる前から存在している常識とされているものに、疑いを持つこと、
これは至難の業です。高い教育レベルの人であればあるほど、この「洗脳」に
気付くことは難しいと思います。
「信じる、信じないの問題ではない。算数の問題。必ず今の貨幣制度は破綻する」
涙を流して訴えていた女性学者の姿が印象的でした。
破綻の先にあるのは、どういう世界でしょうか。
【マネーを生み出す怪物】と共に、必読の書です。
”お金”について考えてみよう!
★★★★☆
この本を読む動機に至ったのは、
お金とはなんだろう?
そして、現在のお金というシステムは正しいのか?
という動機であった。
この本では1、2章で、お金の問題を大きく2つ挙げている
1.自己増殖するお金
2.循環しないお金
1.とは人に貸すことによる利子を指しているが、
これはお金持ちが貸すことでより金持ちに、
貧乏人は借りることでより貧乏になる問題点を指している。
また、
2.とはお金の保存機能(1万円は永遠に1万円であり続ける)
のために人々がお金を貯めてしまうことにより
経済が循環しないことを指している。
そこで、3章の”老化するお金”が考えられた。
これはお金を保有することに税金を課すことで、
人々の積極的、お金の使用を誘発する(2.の解決策)。
また、保有した場合には税金が増えるために、
相手への無利子の貸付につながりやすい(1.解決策)。
また、4章では、"老化するお金"と異なる
”イサカアワー”、"交換リング"など
各国のユニークな地域通貨を紹介している。
私は、以前より
お金が実体の価値を超え、数字上だけでどんどん増えていく
現象はやはり疑問に感じていた。
3章の”老化するお金”の存在は、
地に足が付いたお金を目指す上では良い考えの一つだと思う。
お金というものを考える良い機会を与えてくれる良本であり、
是非一読をと薦めたい本である。
全ては利子が原因だった!
★★★★★
題名にもあるようにお金について根源的なものを明らかにし、
現在のお金の問題点を挙げている。
お金は最後には価値がなくなり消えるべきという。
実際に地域通貨という形で実践してみた町の紹介などもされており
目から鱗でした。
今こそ読むべき本だと思います。
今こそ読むべき本だと思います。
★★★★★
この本の基になったNHKの番組自体は観ていないのですが、この本は作家エンデが、
お金というものに対する根本的な問いを、突き詰めて思索した内容が紹介されており、
お金とは本来どうあるべきかを問い直す、とても有意義な取り組みだと思います。
エンデといえば『モモ』で、私もとても好きな作品ですが、時間に追われて生きる現
代文明を批判的に見る作品という認識はありましたが、これが現代のお金のシステム
を意識したものであるとは思いませんでした。
この本では、エンデの思索に影響を与えた4人の人物を取り上げていますが、特に
忘れ去られた思想家シルビオ・ゲゼルは重要で、エンデの思想に大きな影響を与えて
いるようです。彼は、資本主義でも共産主義でもない、減価する通貨による自然的経
済秩序を提唱しています。
正直言って私には、この新しい経済システムの全容がよく掴めず、なんだかよさそう
だけどよくわからない、というのが本音ですが、彼の思想に基づく貨幣システムが、
地域通貨として世界各地で成功を収めているというのは興味深いことです。
あのケインズも、ゲゼルを高く評価していたということであり、なぜこの思想が禁止
されたのかも含めて、今一度ゲゼルの思想を再考する必要があるように思えます。
このような思想を踏まえて、エンデが主張することは単純で、非良心的である方が
より高い報酬を受け、良心的であるほどに経済的に報われない、現在の貨幣シス
テムを見直すということです。
その一つの手段が地域通貨であり、経済危機の今こそ必要な気がしますが、
現在どうなっているのか、エンデの主張のその後の展開が知りたいところです。
本書は、今の社会システムと異なるもう一つの世界を想像させる、とても意義深い本
だと思います。
貨幣そのものではなく利子こそが問題である。
★★★☆☆
本書が指摘するとおり、利子は、ごく一部の持てる者が持たざる者を収奪するための近代世界の根本メカニズムとして機能しています。ただ、言うまでも無いことですが、このような利子の害毒性を認識し指摘したのはエンデが初めてではありません。
貸した金銭の使用に対して利子を取ることは、究極的には「無いものを売る」こと、すなわち「盗み」です。正統的ユダヤ教、カトリック、イスラームなど、あらゆる伝統的諸宗教の精神的権威が、このような「盗み」を非難してきました。(例えば聖トマス・アクィナス「神学大全」第二ー二部第七十八問題参照。英訳はネット上で読めます。)プラトン、アリストテレスのような古代哲学者も同様です。(「政治学」第一巻第十章を参照)そしてその結果、各人の生存基盤と精神的自由を脅かさないような正常な経済秩序が少なくとも一部の地域・時代においては成立していました。(例えばヒレア・べロック「奴隷の国家」を参照。邦訳あり。)
しかるに、そのような伝統的精神からの逸脱、とりわけプロテスタンティズムの勃興を主たる契機として、正常な経済秩序は破壊され、利子に基づく収奪経済システムがヨーロッパから全世界的規模に拡大してしまったのです。(Hilaire Belloc,The Crisis of Civilization(TAN)を参照。)今やこのシステムによってもたらされる危機的状況は大部分の人類にとって耐え難いものとなりつつあります。
そして処方箋はきわめて単純です。伝統的精神の主張する「利子の禁止」の貫徹です。それが今なお可能であることはイスラームの無利子銀行論が実例をもって示しています。(例えばムハンマド・バーキルッ=サドル「イスラーム経済論」(未知谷)参照)ゲゼルやシュタイナーの主張するような「老化するお金」は技術的に煩瑣かつ不必要です。しかし、この単純な解決策ですら猛反発を受けることは必至であり、解決の道程は険しいと言わざるを得ません。
そしてまた、収奪システムのもたらす危機が反伝統的勢力によって人間の精神を蹂躙するために利用されるであろうことを、人々は知っておくべきです。「獣の名、あるいはその名の数を記されているものの他は、誰も買ったり売ったりすることができない」(黙示録第十三章十七節)時代が、いずれ訪れるでしょう。(Rene Guenon,The Regin of Quantity,Ch39参照)