20年ぶりに読み返しました。
★★★★★
天城山縦走をした翌日、自転車でまた旧天城トンネルまで
何十キロの道を走って往復した十代の頃の湯水の
ようにあふれ出るパワーが懐かしいです。
たぶん、踊り子のような少女からの熱いまなざしを
求めていたのでしょう。
そしてそれは実際にありました。
今、腹の出た菅田俊似の渋ずらの私に熱いまなざしなど
向けられようもありません。
今は昔の話です。
次の正月、湯ヶ島の1泊十万のホテルに美女と泊まることを夢見て。
美意識
★★★☆☆
旧制高校生である主人公が孤独に悩み、伊豆への一人旅に出かけ、旅芸人の一団と出会い、踊り子に心を惹かれていく。何者かを失う喪失感と孤独が入り混じる心情が散見されます。
美意識についても随所に見ることができ、美しさを感じることが可能です。
哀愁漂う作品であると思われます。
インパクト!!
★★★★★
実物は買っていませんが、表紙絵のインパクトに感激し、レビューします。
荒木飛呂彦の表現主義風の絵柄は少年ジャンプの連載の中でも光っていました。彼によりによってノーベル賞作家代表作のカバーを依頼するとは、編集者の英断を評価したいと思います。
ご存知のように、表題作には昔の階級意識が背景にあり、それが初々しいリリシズムのもとになっているのですが、漫画家はそれをあやしいエロチシズムに読み替えました。それをみごとに映像化する手腕は、この漫画家がただ間のではない証拠です。
もしかしたらこのカバーは数年もすると他の絵に変えられてしまうかもしれません。もしそうなったなら、出版界の伝説となって語り継がれていくであろうインパクトがある絵です。
なお、5星は表紙絵の評価として。
日本の文化の一つだろう
★★★★★
伊豆の踊り子と、雪国は、
川端康成で、違和感なく読めた本でした。
それでも、小学生の頃は、いま一歩、伊豆の踊り子がわからなかった。
主人公の設定によるのだろうか。
45年後に読んで見ると、なるほどと思うところがあった。
きっと、15歳くらいに最初に読むとよいのかもしれない。
諦観と無常観
★★★★★
「とりあえず一度は読んでおかないとなぁ」の軽い気持ちで手にし、『伊豆の踊子』を読んだところ、その瑞瑞しい美しさには清められる心地がしましたが、個人的には一緒に収録されている『抒情歌』に完全にやられました。
『抒情歌』は心に恋愛の深い傷を持つ人には涙無くしては読めないかも知れません。治まった傷の痛みが再び疼きだすかも知れません。しかし次第に竜枝の考え方に触れるにつれ、導かれるかのように救われていく心地がします。最後の部分と直後に訪れる読後の余韻は本当に美しいです。一気に涙が込み上げました。当然、悲しみや憎しみ、苦しみという負の感情からでは無く、浄化された喜びの涙です。
『抒情歌』は作品全体が一片の濁りも無い、清らかな愛で包まれた素晴らしい作品だと思いました。
『伊豆の踊子』、『温泉宿』、『抒情歌』そして『禽獣』。収録された全ての作品に於いて、諦観から来る心の安寧と無常観から来る精神の救済が共通している為に全体調和が取れ、且つ相乗効果を生むお得な一冊です。
余談ですが、それにしても川端康成は娘を描き出すのが本当に素晴らしい。『雪国』の駒子や『伊豆の踊子』の薫、『眠れる美女』の娘達、『抒情歌』の竜枝。彼女達は本当に魅力的で美しいです。清水のような瑞瑞しさと透明感を放っています。若い女や成熟しきらない青さの残る娘を書かせたら右に出る者はいないのではないでしょうか。 それらは川端康成という男の目線で書いたからこそ、同じ男である私の心をくすぐる女性を描き出す事が可能だったのでしょうか?女流作家が描き出す女性像では、かえって人間くさく生々し過ぎて、ここまで私の心を捕らえる事は無かったのかも知れません。
いつまでも夢を見続ける哀れな男だからこそ彼女達は生まれたのかも知れませんね。それこそ老人達に用意された『眠れる美女』のように。
えっ!? という事は、現代に於いて、世の男子諸君が虜になっている、ツンデレやメイド等の萌え現象の殆どが男達の手によって造り出されてる事と共通してるって事? 男にとっての女性の理想像を外ならぬ男が一番知っているのかも知れないと云うのは皮肉でありながらも至極当然な事かも知れませんが…。